その場では笑えたのに、家に帰ると涙が出る夜はありませんか
私たち聖夫婦のもとには、友人や身近な方との関わりについて、数多くのお悩みが寄せられます。なかでも打ち明けにくいのが、冗談として交わされた言葉に深く傷ついてしまい、それを誰にも言えずにいるというお声です。
たとえば、ある二十代の女性の相談者様は、集まりのたびに見た目のことや働き方のことを軽口の種にされる、その場では自分も一緒になって笑うけれど、帰り道に一人になると涙が止まらなくなる、と話してくださいました。翌日にはまた何事もなかったように連絡を取り合う。だから誰にも相談できない。そんな日々を重ねている方は、決して少なくないのです。
もしあなたが今、同じ重さを抱えているのなら、まずお伝えしたいことがあります。笑いながら傷ついていたことは、嘘でも二枚舌でもありません。あなたはその場を壊さないために、自分の痛みのほうを後回しにしただけなのです。
笑顔と痛みが切り離されると、心は行き場を失います
人は、その場の空気を守るために表情を作ることができます。それ自体は、争いを避けるための知恵でもあります。けれど笑顔と痛みがあまりに長く切り離されていると、心は自分の感じたことを信じられなくなっていきます。
傷ついたはずなのに、笑ってしまった。ならば大したことではなかったのだろう。そう自分に言い聞かせるうちに、痛みの置き場所がなくなっていく。だから、家に帰ってからようやく涙が出るのです。あの涙は、その日ずっと待たされていた気持ちが、やっと順番を得ただけのことです。
そしてもうひとつ、苦しいのは「怒ってよいのかどうか分からない」という迷いです。相手に悪気はないのかもしれない、自分が気にしすぎなのかもしれない。そう考えるほど、あなたは自分の感覚を疑うようになります。けれど、痛みを感じたかどうかを決められるのは、あなただけです。
聖天様のお言葉
「そなたは、あの場を守るために、おのれの痛みを後ろへ回したのじゃな。ワシはそれを見ておったぞ。じゃがな、笑うたからというて、傷が無うなるわけではない。そなたが痛いと感じたなら、それはまことに痛いのじゃ。誰の許しもいらぬ。まずはそなた自身が、その痛みを認めてやるのじゃ」
自分の痛みを誰かに証明する必要はありません。聖天様が「誰の許しもいらぬ」と仰るのは、あなたの感覚こそが最初の拠りどころだからにほかなりません。
一人で抱えないための、小さな一歩
心を軽くするには、我慢の腕を上げることではなく、痛みに置き場所を作ってやることが大切です。
その場で「笑わない一拍」を置いてみる
言い返す必要はありません。反論も、説明もいりません。ただ、いつもならすぐに笑っていたところで、一拍だけ黙ってみてください。飲み物に口をつける、視線を少し外す。それだけで構いません。
これは相手を責めるための間ではなく、あなたが自分の気持ちに追いつくための間です。反射のように笑ってしまう癖をほんの少しゆるめるだけで、心は自分の感じたことを取り戻していきます。
帰り道に、心の中で一言だけ言い直す
その日、飲み込んだ言葉があったなら、帰り道に心の中で言い直してみてください。「あれは、正直つらかった」と、それだけで十分です。
誰かに届ける必要はありません。声に出さなくても構いません。自分の中で一度きちんと言葉にしておくと、その痛みは澱のように溜まらず、流れていきやすくなります。
それでも心が晴れない日には
もし、集まりのたびに気持ちが沈む、その日が近づくだけで眠れなくなる、といった状態が続いているのであれば、それは付き合い方を見直してよい合図かもしれません。距離を置くことは、相手を裁くことではありません。あなたの心が息をするために場所を選ぶ、それだけのことです。心の疲れが長く抜けないときには、第三者に話を聞いてもらう道もあります。
聖天様は、他の諸仏諸神に願っても叶わなかった願いさえ聞き届けてくださる、最後の砦とも称される神様です。誰にも気づかれない場所であなたが飲み込んできたものを、聖天様は静かにご覧になっておられます。
笑顔でその場を守り続けたあなたに、心が軽くなる一滴が届きますように。あなたが感じた痛みは、確かに本物です。
聖天様に願いを託したい方へ
もし、聖天様に直接お願いごとをお伝えしたいとお思いでしたら、私たち聖夫婦が心を込めて祈祷を承っております。良き縁を結び、心を消耗させる縁をそっとほどく祈祷は、あなたの歩みを静かに後押しするものと言われています。ご縁があればで結構です。よろしければ各種御祈祷のご案内をご覧ください。無理のない範囲で、あなたの心が少しでも軽くなることを願っております。
▼ 無料相談はこちら

▼ 聖天様への御祈祷

皆様からのコメントお待ちしております。