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願うから叶う、叶うから願う。

合掌
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よく世間では「願うから叶う」というような言葉を耳にしますが、ある意味では「叶うから願う」とも言えるのです。

これ少し言い換えれば「望むから叶う」「叶うから望む」となります。

ここで「叶うから願う」とか「叶うから望む」という言葉にピンとこない人がいるかもしれませんが、基本的に人間が願うということには何らかの意味があり、最後まで諦めず努力精進し続けることで叶う願いだからこそ人間は望むのだと言えるのです。

皆様にも何らかの願いがあると存じます。

その願いが如何なる願いであれ、その願いが叶うか否かの結果を決める、最初の分かれ道は「この願いは必ず叶う」と思えるか「この願いは叶わないかもしれない」と思うかです。

この最初の段階で「絶対に叶う」と心底から信じて努力精進するか、少しでも「叶わないかもしれない」と願い叶うことに疑いを抱いて努力精進するか、これにより実際の努力精進にも大きな差が出ますし、最初のスタートから進む道が異なることになります。

最初から「必ず叶う」と心底から信じる人間は、スタートから願い叶う道へ進みますし、少しでも疑いある人間は、願い叶わない道へと進みます。

自分の抱いた願いは必ず叶うと信じるべしです。

人間が願うことは何事であれ、絶対に叶うと信じて努力精進すれば叶うのです。

逆に言えば、そもそもが叶う願いだからこそ、不思議と願うようになるのです。

あなた様の願いは必ず叶う可能性を秘めていると言え、願い叶うも願い叶わないも、あなた様の意識と行動次第だと言えるのです。

聖天信仰の心得十二条にも「お願いの叶わぬときは、未だその時期でないのか、誤った願い方をしていたか、または聖天様のお気持に反するような、お詣りの仕方をしていたからであるから、特に反省してみる必要がある。」という条文が御座います。

今回お話した「願い叶わないかもしれない」という風に、あなた様の願いが叶うことに少しでも疑いあれば、それは聖天信仰の心得十二条にある「聖天様のお気持ちに反するような、お詣りの仕方」になるのです。

合掌

成就の心得

皆様からのコメントお待ちしております。

  1. 鷹秋 より:

    初めまして。
    聖天信仰を始めてまだ5年目の者です。

    聖天様を信じその心のままに生きてきましたが、結局祈願していた商売繁盛も叶わず会社と個人破産、金運上昇を願っても今だに金運が上がらず毎月家賃・電気・ガス・水道の支払いすら困難な生活をしています。

    必ずかなうという聖天様への祈願を行ってもこのありさまで今だに改善しない俺はどうすればいいのでしょうか?

    正直なにしていいのか分からないし、現在の収入は月3万円の超低辺での生活です。
    聖天様は俺を見捨てたのでしょうか?

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