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聖天様の為にという意識

お大根
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聖天様は、人間のために願を叶えて下さいます。ところが多くの人間は、自分のためのことしか意識しません。聖天様は人間のためにと、ご利益を授けて下さるのですから、我々人間は自分のためだけじゃなく、聖天様のためにという意識を持って信仰するべきではないでしょうか。

例えば御供です。同じ御供をするにしても、願い叶えてもらうという自分のために御供するのか、聖天様に召し上がって欲しいという気持ちで御供するのか、そこの意識を間違うと聖天様も喜ばれません。聖天様が喜ばれないということは、我々人間も喜ぶことはありません。

聖天様は歓喜天様であり喜びの神様です。この世で悩み苦しむ人間に喜びを授けて下さいます。つまり我々人間も聖天様に喜んでもらえるようにという意識を抱き行動するべきです。

人間が「少しでも早く願い叶えてもらえるよう何か御供した方が良いかな」と意識して御供しても聖天様は喜ばれません。「聖天様は何がお好きかな、何を御供したら、聖天様に喜んでもらえるかな」というような意識を抱き行動し御供することで、聖天様は喜んで下さり我々人間にも喜びを授けて下さいます。

読経にしても同じです。自分のために読経したところで、事務的な読経になり聖天様は喜ばれません。聖天様に喜んで頂きたいと、聖天様に捧げると心込めて読経すると聖天様は喜ばれます。

参拝も同じです。「願い叶えてもらうために月に一度は参拝した方が良いかな」と参拝するより、まるで遠くに住む両親や恋人に逢うが如く、「聖天様に逢いたい」という気持ちで参拝されると聖天様も喜ばれます。

人間社会でも同じことですが、自分は自分のためのことしか意識しないのに、相手に自分のことだけを意識しろと言っても、相手が意識してくれるはずもなく、結果的に見離されます。自分のためだけを追うものに自分のためになることは授かり難しです。相手のためを意識し行動すれば、相手が自分のためになる何かをしてくれます。

ましてや相手が神仏様、その中でも聖天様ともなれば、尚更のことだと存じます。

合掌
執筆者:聖パパ

作法と心得

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