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聖天信仰の一切をあげておまかせする意味

任せる
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聖夫婦

先日のこと、「聖天信仰の心得十二条に『本当の信仰とは、お聖天様にひたすらおすがりして、一切をあげておまかせすることである。』と書いてあったので、前に聖天様へ祈願しました。後は何もせずおまかせしていれば良いですか?」という無料相談を受けました。これ同じように理解している人は他にもいるかなと思いブログにしました。

これおそらく、「ひたすらおすがりして」という過程を軽んじ、「おまかせすることである」という結論を重んじてしまったのかなと思います。この、「ひたすら」とは、「一途」という意味ですが、これは一度だけ一途という意味にあらず、「生涯をかけて聖天様を一途にすがる。」という意味に御座います。その上でおまかせするのは「結果」に御座います。

この相談者様は、「最初に一途な気持ちで願えば、後は何もしなくても、聖天様に任せておけば大丈夫だ」と理解したようですが、これ間違った解釈であり、これでは叶う願いも叶いません。

先程も触れましたが、聖天信仰とは、一度だけ一途な気持ちでじゃなく、「一生をかけて聖天様を一途にすがり続けながら、後の結果に関してのみ聖天様にお任せする。」という意味です。つまり願い事に関しては、「願い叶うまで願い続けながら、後の結果は聖天様にお任せする。」という意味です。

たった一度だけ祈願したからといって願い叶うのならば、この世に悩み苦しむ人は存在しません。また、たった一度で願い叶う人もいますが、それは過去や前世で其れ相応の功徳を積まれた人です。

聖天信仰の心得十二条にある、「本当の信仰とは、お聖天様にひたすらおすがりして、一切をあげておまかせすることである。」とは、聖天様を一生涯かけて一途にすがり、後の結果である全ては聖天様におまかせする。」という意味に御座います。

聖天様に叶えて欲しい願いがあるなら、一度の祈願で安心せず、願い叶うまで願い続けて下さい。その上での結果は、全て聖天様にお任せして下さい。

合掌
執筆者:聖パパ

祈願と御礼

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