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聖天様(歓喜天)に願いは悲願です!それ本当?

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聖天様(歓喜天)に、聖天信仰される方の願いは多くが悲願です。

それを願う人間は知っています。

ところが一部では悲願と言いながら、悲願と思いながら、実は悲願でない方がいらっしゃいます。

そもそも悲願とは「何が何でも叶えたい願い」です。

本当に悲願であれば、なりふり構わずが正しい姿であり正しい結果だと言えます。

私ら聖夫婦もそうでした。

私ら聖夫婦が聖天様(歓喜天)から御縁を授かった時な正しく悲願であり、なりふり構わず聖天信仰に没頭しました。

一部で聞く「聖天様(歓喜天)は怖い」とか「聖天様(歓喜天)は祟り神」とか、全く心に入らず、一心不乱に聖天様(歓喜天)に縋りました。

また、聖天信仰は一生モノです。

その一生が重荷に感じ、「聖天様(歓喜天)にお願い事して願い叶えてもらったら御礼はするけど、一生ってのは自信ないな・・・っていうか一生しなければバチが当たるっていうしどうしようかな~」なんて方もいらっしゃいますが、私ら聖夫婦は”聖天信仰は一生モノ”と知った時に「聖天様(歓喜天)と一生の御縁を?嬉しい!感謝です!」と泣いて喜んだものです。

そもそも、「御縁日に参拝できるかどうか」とか「お札を祀るはちょっと」とか「お勤めは無理だ」とか「お経なんて読めない」とか「御供なんて出来ない」とか「私マメじゃないし~部屋汚いし~部屋狭いし~」とか言っているようでは悲願とは言えません。

本当に悲願を抱く方は、なりふり構わず聖天様(歓喜天)に縋ります、御縁日どころか毎日でも参拝しますし、浴油祈祷もしますし、お札やお勤め(お経・御供など)は必死に喜んで行いますし、部屋も綺麗にし、場所も工夫します。

とにかく願い叶える為なら出来ることな何でもします。

だって悲願ですから!

悲願とは「藁をもつかむ思い」だと言えます。

あなたの願いは本当に悲願ですか?

合掌
執筆者:聖パパ

作法と心得

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