聖天様は人を選ぶ神様です。人を選ぶということは、聖天様が振り向かぬ人間がいるということです。では、聖天様が振り向かぬ人間とは、いったいどんな人間なのでしょうか。細かいこと言えばキリがないので、いくつか大枠で記したいと思います。
悪しき人間
これは言うまでもないことですが、聖天様は悪しき人間に対しては振り向かれまん。法的に対しても、道徳的に対しても、悪しき意識の人間、悪しき行いをする人間には、聖天様は振り向かれません。但し、改心して一心不乱に縋ることで、一度だけチャンスをくれ救って下さるかもしれないという、聖天様は誰よりも慈悲深い神様で御座います。
疑いある人間
聖天様を信仰されている聖天信仰者様は、誰もが「聖天様を信じています」と言いますが、その一部で実際には信じきれていない「なんちゃって信仰」の人が居ます。聖天様のことを心から信じきれない人間に対し、聖天様は振り向かれません。これは人間同士でも同じことが言え、相手が少しの疑いもなく信じてくれるからこそ相手の為に何かを行うのです。疑いある人に何を頼まれても振り向かぬは人間も同じです。
行動しない人
聖天様に少しも疑いなく信仰されていても、自ら何も行動しなければ聖天様は振り向かれません。寺院への参拝も行動、自宅での拝礼も行動、聖天様へのご祈祷も行動であり、その他にも自ら願い叶える為の行動など言うまでもないことです。
一生懸命に仕事をしながら商売繁盛を願うから、聖天様は振り向かれるのです。一生懸命に仕事もせず、いくら朝から晩まで商売繁盛を願っても、聖天様は振り向かれません。また、行動するも継続しない人間や、行うべき行動を怠る人間も同じと言えます。
常日頃から善行で功徳を積み、聖天様のご利益を少しも疑わず、一生懸命に行動し怠らなければ、聖天様は必ず振り向き、あなたのことを必ず御守護下さり、願い叶え救って下さると存じます。
願い叶わぬは聖天様が振り向いてくれぬからだという人が居ますが、それは聖天様が振り向いてくれぬのではなく、振り向いてくれぬ理由があると理解し、聖天様が振り向いてくれるような人間になる努力精進が求められると存じます。
聖天様が振り向いてくれる人間になれば、聖天様は必ず振り向き願い叶え救って下さいます。それでも願い叶わぬ場合は、努力が足りぬか、時期が未だか、叶うことで不幸になるか、他に何らかの理由が存在すると存じます。
合掌
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