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聖天様(歓喜天)ご祈願「お任せする」と「他力本願」は違う

御縁と奇跡
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※叶えたい願いある人▶
※知りたい未来ある人▶

聖天信仰の心得十二条に「本当の信仰とは、お聖天様にひたすらおすがりして、一切をあげておまかせすることである。」と御座います。

これを勘違いして「他力本願」となられる方がいらっしゃいます。

聖天様(歓喜天)に「お任せする」と「他力本願」は違います。

大切なのは聖天信仰の心得十二条「本当の信仰とは、お聖天様にひたすらおすがりして、一切をあげておまかせすることである。」の中にある「ひたすらおすがりして」という所です。

ひたすらすがるとは聖天様(歓喜天)に対し、必死に信仰を行うという意味です。

それを「お任せするのが良いのだから浴油祈祷だけして後は任せれば良い」と考える方が居ますが大きな間違いであります。

お金を払い浴油祈祷だけすれば願いが叶うなど正しく「他力本願」な祈願であり本末転倒とも言えます。

本当の「お任せする」とは「人事を尽くして天命を待つ」の精神であり、自ら出来ることを全て行い、後の結果は聖天様(歓喜天)に「お任せする」という意味です。

自宅に聖天様(歓喜天)お祀りしお勤めもせず、寺院にも参拝せず、何をお任せするのか理解に苦しみます。

お金だけ支払って浴油祈祷し何でも願いが叶うなら、この世の人間は全て幸せであり悩み苦しむ人間など存在しなくなります。(笑)

先ずは自ら聖天様(歓喜天)を自宅に迎え入れ、御供物など大切にお祀りし、毎日朝夕お勤めをし、時に寺院へ参拝するなど、自ら出来ることを全て行ってこそ、最後の浴油祈祷が生きて祈願成就するのです。

もう一度だけ言います。

自宅に聖天様(歓喜天)お札を迎え入れ、大切にお祀りし、毎日朝夕お勤めを行い、行けるだけ寺院へ参拝(お百度など良いです)し、自ら出来ることを全て行ってこそ、最後の浴油祈祷で願いの花咲くのです。

それが、聖天信仰の心得十二条に御座います「本当の信仰とは、お聖天様にひたすらおすがりして、一切をあげておまかせすることである。」の本当の意味です。

自分では何もせず、寺院で浴油祈祷だけして願いが叶わぬという方がいらっしゃいますが、それは「他力本願」の祈願ですから叶わなくて当然とも言えるのです。

仮に奇跡的に叶ったとすれば、その方は前世で相当な功徳を積まれた稀な方だと言えます。

何故なら、お金を払い浴油祈祷だけして願いが叶うなら、この世の人間は全て幸せで悩み苦しむ人は居ないからです。(笑)

くどいようで恐縮ですが、切羽詰まった願いであればあるほど、他力本願ではなく、自力本願であるべきであり、自力本願な祈願の結果を聖天様(歓喜天)お任せするのです。

どうか、聖天様(歓喜天)に願い叶えて頂きたいのなら、「お任せする」と「他力本願」を間違わないように行って下さい。

合掌
執筆者:聖パパ

  1. 天祥 より:

    他力本願に付いて些か誤解が有る様なので御説明致しますが本来の他力本願とは、他力(神力)と解釈致し本願とは、仏様の願い(衆生を漏れ無く救う事→成道)と為ります。即ち他力本願とは、他人任せの棚ぼた信仰では、無く仏様の神力に縋って成道する事が本来の意味合いと成ります。
    要するにこの度の意味合いとしては、自他力本願と言う解釈が適切かと思います。
    謂わば信仰を通して聖天様の御意思並びに本願を学びひたすら其の赤子の如く聖天様に縋り尚且つ成道並びに自身の願意叶う様に努力を怠らない、其の行いが因と成り聖天様の神力が御縁を取り持ち成就(果)する訳ですから自力、他力の両方が有って初めて祈願成就致します。
    車に例えるならば心(信仰心を含め)と自身の行いの両輪が有って進める訳で聖天の神力は、本願に従い其の進む方向を導き又、人の力及ばぬ御縁を繋いで下さる存在ですから其の御縁は、大変有り難い(有る事が難しい)訳で其の御縁に日々感謝と精進を重ねる事が何より肝要かと思います。

    天祥  九拝

    • 聖パパ聖パパ より:

      他力とは仏教用語であることを主軸にした補足説明有難う御座いました。
      また宜しければ読者様ブログを利用した情報の発信を是非ご検討下さい!^^
      九拝