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他人の不幸を願うのは呪いである

藁人形で呪う女性
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先日のこと、韓国ドラマで、他人の不幸を願う人のドラマを見ました。

他人の不幸を願うのは、願いでしょうか、呪いでしょうか。

皆様はどう思われますか?

願いと呪いは同じと思いますか?

願いと呪いは違うと思いますか?

これ深く追求すれば賛否両論あると思います。

しかし端的に言えば違うと言えます。

これ自分の幸福を願うのは願いであり、他人の不幸を願うのは呪いと言えるのです。

よく天罰とか神罰とか仏罰という言葉を聞かれると思います。

これ勘違いしている人も多いですが、あの人に天罰が下りますように、この人に神罰が下りますように、仏罰が下りますようにと願うのは、天罰でもないし神罰でも仏罰でもない、単なる呪いなのです。

願いは神様や仏様へ通じるものですが、呪いは悪魔へ通じるものです。

仮に聖天様へ願っても、通じるのは毘那夜迦です。

間違っても他人の不幸を聖天様に願わぬことです。

そして他人を呪った報いは必ず自分に返って来るのです。

これら因果応報から逃れることは絶対に出来ないのです。

この世を生きるに人間関係は避けて通れぬことです。

その人間関係には良い関係があれば悪い関係もあります。

誰かに裏切られたり苦しめられたりすることもあります。

しかし、だからといって他人の不幸を呪っては駄目です。

仮に他人の不幸を願ったことが悪魔に通じ叶ったとしても自分は幸せになれないのです。

幸せどころか因果応報により自らも不幸になるでしょう。

それよりも自分が幸せになること神様や仏様に願うことです。

仮に不幸にしたい呪いたい人間がいるとしても、それは神様や仏様にお任せすれば良いのです。

他人に悪いことをした人間は、人間が不幸を願い呪わなくとも、これまた因果応報により其れ相応の報いを受けるのです。

他人の不幸より、自分の幸福です。

合掌

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