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聖天様鎮座のいわれ-仏法紹隆寺の聖天編

仏法紹隆寺
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聖天様鎮座のいわれ

ホアームページでは

【創建】

今から1200年前の大同元年(806年)坂上田村麻呂が開山
征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐に京都から出発し戦勝を収めた帰りに諏訪大社に戦勝報告をし、お礼の意味を込めてお堂を建立したとされています。その後、この場所にお堂があることを知った空海により、真言宗を勉強するための学問道場としても指定されたんだそうです。

【諏訪聖天の聖天様は】

江戸時代、諏訪氏が『高島藩』のお殿様だったころの祈願寺にお祀りされていたのが諏訪聖天の聖天様です。
高島城内に聖天様の祈願所があり、藩主の守護仏だったそうです。

ところで、なぜお城の祈願所で聖天様をお祀り出来たのかというと、仏法紹隆寺のご住職様が、折々に登城しご祈祷をされていたんだそうです。

その後、享保6年(1721年)に4代忠虎公の時に藩主が住職の苦労を想い、仏法紹隆寺へとお堂と仏さまを移転させたんだそうです。
ました。
諏訪 忠虎すわ ただとらは、信濃高島藩の第4代藩主。第3代藩主諏訪忠晴の三男です。

その他

諏訪の地は建御名方タケミナカタという神さまの神話の地でもあります。

実は、この諏訪氏は、建御名方神の血筋を引くという説もあるようです。

諏訪氏の出自は…
諏訪大社の祭神でもある建御名方神の末裔である
神武天皇の皇子・神八井耳命の子孫で信濃国造の金刺氏の一族である
桓武天皇の子孫、清和源氏の末裔
….など、諸説があるようです。

神官としての顔も持っていた諏訪氏。その諏訪の神を祀る神官が平安時代に武士化して「諏訪氏」を名乗ったとされています。

長野県

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