多くの神社仏閣で行われている「お百度参り」ですが、生駒聖天宝山寺でも多くの方が、聖天様(歓喜天)にお百度参りされています。
お百度参りとは書いて字の如く、同じ神社仏閣の神仏様に、百度の参拝をするという意味です。
雨が降ろうが槍が降ろうが、毎日欠かさず百度の参拝をするのです。
そうして百度の参拝で、百回お願い事をするのです。
ところが、様々な事情から100日間の間、毎日欠かさず参拝するには無理がある人や、そもそもお百度参りする人は一刻を争う願い事をされる方が多いので、100日間(約3か月)かけている暇はないという人が多いのです。
よって、一度で百度の参拝をするというのが、今や一般的に連想されるお百度参りです。
それでは本題の「自己満足で本末転倒」です。
私も多くの人がお百度参りされているのを見ます。
しかし、その多くの人が自己満足なお百度参りをされているのです。
私は心の中で「せっかく参拝しているのに、勿体無い」と思います。
普段はしっかりと参拝されている人でも、何故かお百度参りになると、一瞬だけ軽く頭を下げ合掌し、参拝を終えられているのです。
つまり、頭の中の意識は「参拝」より、「100回」になっているのかと存じます。
そもそも100回の参拝で祈願していることを忘れ、お百度石を100回くるくると回ることだけに意識が支配されている状態です。
これじゃ、本末転倒ですよね(笑)
久しぶりの参拝で一瞬だけ軽く頭を下げ合掌し終えて帰る人は少ないかと存じますが、お百度参りの時になると何故か一瞬だけ軽く頭を下げて合掌し終える人が多いのです。
まぁ最初と最後だけは、しっかりと拝まれているようですが(笑)
しかしそれでは、初日と最終日だけ拝み、途中の98日間は一瞬だけ軽く頭を下げ合掌し帰っているのと同じことです。
お百度参りされる時は、毎日欠かさず100日間、参拝しているのだという意識を持てば、そんな一瞬だけ軽く頭を下げ合掌し帰るような、勿体無い自己満足な参拝はしないかと存じます。
皆さん、お百度参りは大変かと存じますが、せめて少なくとも「名前・年齢(数え年)・願い事」くらいは、ゆっくりと丁寧に拝まないと、せっかく頑張っているのに勿体無いですよ(笑)
生駒聖天宝山寺でも同じ光景を目にしますが、聖天様(歓喜天)からしたら「誰だ?何の用だ?」とまでは思われないでしょうが、今行っているのは一日一度の参拝だと意識し、聖天様に100回しっかりと参拝祈願されて下さいね!^^
合掌
執筆者:聖パパ
皆様からのコメントお待ちしております。
聖パパさん
しまった~
宝山寺でお百度してる人真似て
してしまった滝汗
お百度、私的にけっこう大変だったけど
意味無いですねトホホ
あらまぁ~(笑)
次回からは1回1回が別の日だと思い拝まれて下さいね^^v
合掌
お百度参りについて、お尋ねします。
過去に宝山寺様にて祖母や母に連れられて何度か経験しました。この度、久しぶりに踏みたいのですが昔々の事でお百度石の場所がオボロです。しかも、両膝の具合が悪いため踏めるかどうかも不安ですが、場所や考え方など合わせてご教示頂きたく存じます。