聖天様(歓喜天)は、私にとって父であり母です。
聖天様(歓喜天)と言えばガネーシャ神様と十一面観世音菩薩様ですが、私の中ではガネーシャ神様が父であり、十一面観世音菩薩様が母なのです。
つまり、私はガネーシャ神様を父とし十一面観世音菩薩様を母とする、聖天様(歓喜天)の子供ですから、人間でも親が子共を守るように、聖天様(歓喜天)も子供である私を護って下さるのです。
そして、聖天様(歓喜天)を信心する聖天様(歓喜天)から「信心せよ」との、ご縁を授かった人間は、皆が聖天様(歓喜天)の子供だと思います。
我々人間は親である聖天様(歓喜天)に護られるだけでなく、子が親を敬うように、聖天様(歓喜天)を敬い信心すること当たり前のことです。
子供は朝起きて親に「おはよう」と親に言います。
子供は夜の寝る時に「おやすみ」と親に言います。
それと同じように、朝起きたら聖天様(歓喜天)に拝礼します。
それと同じように、夕方にには聖天様(歓喜天)に拝礼します。
これ当たり前であり普通のことです。
こんな普通のことが出来ない人間は聖天様(歓喜天)から「信心せよ」と、ご縁を授かっていない人間です。
人間の子供が親から縁を授かり「おはよう」「おやすみ」と当たり前に普通に言うのと同じく、聖天様(歓喜天)に朝夕の拝礼を当たり前に普通にする人間こそ、聖天様(歓喜天)から「信心せよ」との、ご縁を授かった人間なのです。
そして聖天様(歓喜天)は、朝夕欠かさず拝礼を行うことで、願いを成就させて下さるのです。
聖天様(歓喜天)を信心する上で最も大切なこと、それは「継続」です。
お金持ちが大金を掛けて祈願しても、続かなければご利益など御座いませんが、貧乏でも毎日の朝夕に欠かさず拝礼することで、聖天様(歓喜天)は必ず手を差し伸べ成就して下さいます。
人間でも親子の縁は切れません。
例え、どんなに悪い子供でも、親は絶対に子供を見捨てたり致しません。
聖天様(歓喜天)と我々人間も同じで、例え至らぬ人間でも、聖天様(歓喜天)に信心する人間を聖天様(歓喜天)は絶対に見捨てたり致しません。
幸いにも逢い難き、聖天様(歓喜天)からご縁を授かった人間と聖天様(歓喜天)の縁は切れません。
なぜなら聖天様(歓喜天)は、ご縁を授かった人間にとっての、父であり母であるからです。
こんな最強の父や母は居ませんよ(笑)
合掌
執筆者:パパ
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