「家に帰るのが、なんだかしんどい」――その気持ちを、責めないでください
仕事を終えて、玄関の前で少しだけ足が止まる。ドアを開けた瞬間の空気を思うと、気が重くなる。家族のために働いているはずなのに、その家がいちばん心の休まらない場所になっている。あなたは、そんな矛盾を抱えていませんか。
私たち聖夫婦のもとには、口には出しづらいこの本音が、静かに届きます。「家に帰りたくない」と感じる自分を、薄情な人間だと責めてはいないでしょうか。まず、その気持ちそのものを、私たちは否定しません。
あなたは、ちゃんと家族のために戦ってきた
家族のために働き詰めて、休みの日はさすがに体が動かない。それなのに「また寝てばかり」と言われる。飲み会だって、好きで行っているわけではなく、付き合いという名の仕事の続き。それを「遊び」と見られると、報われなさに胸が塞がります。
誰のために、何のために働いているのか。その問いが浮かぶほど、あなたは真面目に、家族を背負ってきたのです。私たち聖夫婦は、まずその頑張りを、まっすぐに労いたいと思います。
「居場所がない」と感じるとき、見えていないものがあります
家の中に自分の居場所がない。そう感じるとき、人はどうしても「自分ばかりが我慢している」という思いに囚われがちです。けれど、少しだけ視点を広げてみてほしいのです。
戦っているのは、あなただけではありません。あなたが外で働いているあいだ、家を守り、子を育てている人もまた、別の戦いの中にいます。互いに「自分のほうが大変だ」と背中を向け合っているとき、二人はいちばん近くにいながら、いちばん遠くにいるのです。
聖天様は、こう説かれます
「そなたが疲れておるなら、隣の者もまた疲れておろう。同じ痛みを持つ者どうしが、なぜ背を向け合う。まなざしを、同じ方へ向け直してみよ」
相手を責める前に、相手もまた戦友であったと思い出すこと。それは負けを認めることではありません。二人で同じ荷を担ぎ直すための、賢い一歩なのです。
「いつもありがとう」から、同じ方を向き直す
子育てを任せきりにしていなかったか。相手の頑張りを、当たり前と思っていなかったか。ふとそこに気づいたとき、関係を変える鍵は、意外なほど身近なところにあります。
今日からできる、小さな一歩
帰宅して最初のひとことを、「疲れた」から「いつもありがとう」に変えてみてください。何か特別なことをする必要はありません。相手の一日を、まず言葉でねぎらう。たったそれだけで、向かい合っていた二人の体が、少しだけ同じ方向を向き始めます。
ぎこちなくても構いません。照れくさければ、背中を向けたままの小声でもいい。大切なのは、あなたから最初の一歩を渡すことです。
あなたは、居場所のない人ではありません
家に帰るのがしんどいのは、あなたが家族を大切に思っているからこそです。どうでもいい相手になら、しんどさすら感じません。その痛みは、あなたの中にまだ確かに愛情がある証拠なのです。
あなたの居場所は、失われたのではなく、少し見えづらくなっているだけ。「ありがとう」の一言から、それはきっと取り戻せます。聖天様は、黙って家族を背負うあなたの背中を、いつも見ておられます。
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