一週間、比べることに疲れたあなたへ
この一週間、私たち聖夫婦は、誰かと比べて苦しむさまざまな心に寄り添ってきました。他人と、我が子と、同僚と、よその家庭と、昔の自分と、兄弟と。立場は違っても、その苦しみの根には、いつも一つの声が響いています。「私は、まだ足りない」。今日は、その「足りない」という思いそのものから、あなたが少し自由になれるように、聖天様のお言葉をお届けします。
「足りない」は、幸せから遠ざかる呪文です
私たちが人と比べてしまうとき、心の底にあるのは「今の私では足りない」という感覚です。けれど不思議なもので、この「足りない」という思いは、何をどれだけ手に入れても、決して消えてはくれません。一つ手に入れれば、次の「足りない」が現れる。比べる相手は、いつでも無限にいるからです。だからこそ、外側を満たそうとするのではなく、「足りない」という思いそのものを、そっと手放していく必要があるのです。
聖天様のお言葉
すべてを見ておられる神様、聖天様は、満たされない心へ、こう語りかけてくださいます。
「そなたは『足りぬ、足りぬ』と、いつも器の空いたところばかり見ておる。じゃが、その器には、すでにこれほど注がれておるではないか。今日を生きる息、支えてくれる誰か、こうして手を合わせる心。それを『当たり前』と呼んで見過ごすから、いつまでも渇くのじゃ。すでにあるものに気づいたとき、そなたの渇きは癒えるのじゃ」
手を合わせるという、比べない時間
ここで、信仰という営みが持つ、静かな力についてお伝えします。神様に手を合わせるとき、私たちは誰とも比べていません。そこには順位も、勝ち負けも、優劣もありません。ただ、ありのままの自分で、大きな存在の前に静かに座る。手を合わせるその数分間は、比べることから離れられる、あなただけの安らぎの時間です。特別な作法は要りません。ただ心を静め、「今日もこうして生きています。ありがとうございます。」と、感謝を向けるだけでよいのです。
「ありがとう」は、比べる心をほどく言葉
比べる心は「足りないもの」を数える心です。その反対にあるのが「すでにあるもの」に気づく心、すなわち感謝の心です。感謝しているその瞬間、人は誰かと自分を比べることができません。「ありがとう」という言葉は、あなたを縛る比較の鎖を、静かにほどいてくれる言葉なのです。この一週間、外ばかりを見つめてきた目を、今日は、あなたの手の中に「すでにあるもの」へと向けてみてください。
今日からできる、小さな一歩
今夜、眠る前に、一日の終わりに、心の中で三つだけ「ありがとう」を唱えてみてください。誰に向けてでも構いません。ご飯が食べられたこと。屋根のある場所で眠れること。家族が無事なこと。三つの「ありがとう」は、「足りない」でいっぱいだった器に、静かに温かいものを注ぎ足してくれます。それを毎晩の習慣にできたなら、あなたはもう、誰かと比べなくても大丈夫な、満たされた心を育てていけるはずです。
結びに
誰かと比べて苦しんだ一週間も、少しずつ「ありがとう」に気づいていくあなたの歩みを、聖天様はすべて見守っておられます。あなたは足りない存在ではありません。すでに、たくさんのものを抱えて生きています。どうか今日から、空いた器ではなく、すでに注がれたものを、やさしく見つめてあげてください。あなたは、そのままで、満たされているのです。
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