浅草の待乳山聖天。その聖天様は、
干ばつに苦しむ人びとを救うために姿を現されたと伝えられます。
一夜にして涌現した霊山、舞い降りた金龍??
待乳山に聖天様がお祀りされるまでのいわれをご紹介します。
一夜にして涌現した霊山
待乳山聖天の縁起は、推古天皇の御代にさかのぼります。
推古天皇3年(595)9月20日、
この地が突然小高く盛り上がり、一夜のうちに霊山が涌現したと伝えられます。
そしてそのとき、金龍が舞い降りて山を廻り、これを守護したといいます。
この金龍の伝承は、浅草寺の山号「金龍山」の由来になったとも伝えられています。
待乳山は、浅草寺そのものの成り立ちにも関わる霊地なのです。
干ばつの夏、聖天様が現れる
それから6年後の推古天皇9年(601)の夏のことです。
この地方は干ばつに見舞われ、人びとは苦しみあえいでいました。
そのとき??
十一面観音の化身である大聖歓喜天が姿を現して人びとを救済し、
聖天さまとして祀られたのが草創
と伝えられます。
こうして待乳山に、歓喜天と十一面観音が安置されました。
これが待乳山聖天のはじまりです。
十一面観音の化身としての聖天様
ここで注目したいのは、待乳山の聖天様が
「十一面観音の化身」として現れたと伝えられている点です。
聖天様はもともと強大なお力をお持ちでありながら、
欲心の盛んな、差別心の強いご性格をお持ちでした。
しかし十一面観世音菩薩のご教化に会われてから、
一転して慈悲平等のお心に改められ、仏法の守護神として、
その自在神力を衆生済度にお振り向けになられた??
これが聖天様の由来として広く伝えられるところです。
待乳山の縁起は、この観音様と聖天様の深い結びつきを、
そのまま草創の物語としています。
現在も待乳山聖天のご本尊が大聖歓喜天と十一面観世音菩薩の
二尊であることは、この由緒を今に伝えるものです。
このいわれから見えてくること
待乳山の聖天様のいわれで特徴的なのは、
個人の願望成就ではなく、干ばつという災害から
人びとを救うために現れたという点です。
聖天様というと「どんな願いも叶えて下さる」という
現世利益の面が語られがちですが、
待乳山の草創は「困っている人びとを救う」という、
きわめて公共的な救済から始まっています。
そしてこの救済の性格は、今も受け継がれています。
本堂では毎朝、浴油祈祷が欠かさず厳修されており、
参拝者一人ひとりの願いに応え続けておられます。
また、お供えされた大根が翌日「お下がり」として
参拝者に配られるのも、受けた恵みを分かち合うという
待乳山らしい在り方といえるかもしれません。
「待乳山」という名について
待乳山の「待乳」は「真土」とも書きます。
この辺り一帯はかつて泥海であったが、
ここだけが真の土であったことに由来するという説があります。
泥の海の中に、ただ一つ現れた確かな土地。
聖天様が鎮座された場所として、
これ以上ふさわしい由来もないように思われます。
参考
待乳山聖天(本龍院)公式サイト/浅草寺公式サイト「待乳山聖天」/
『南無観世音:金竜山縁起正伝』(金竜山縁起編修会 編、芳林堂、1912)
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