この世で、幸せな人間と不幸な人間、どちらが多いでしょうか。そんな質問をしたら『幸せな人間よりも、不幸な人間の方が多い』と答える人が多いかもしれません。しかし、それは本当でしょうか?本当に幸せな人間より不幸な人間の方が多いでしょうか。それは幸せな人間より不幸な人間の方が多いのではなく、幸せと思っている人間より不幸と思っている人間の方が多いだけじゃないでしょうか。
この世を生きるは修行であり、幸せなことより、不幸なことの方が、多いのかもしれません。しかし、だからといって、あまりに不幸ばかりをピックアップしていては、本来ある幸せまで不幸にしてしまうことになります。
この世が幸せか不幸かなんて、本人の価値観といいますか、それぞれ本人次第に御座います。
金銭的に貧乏でも幸せと感じる人がいれば、億万長者でも不幸と感じる人がいます。独身でも幸せと感じる人がいれば、既婚でも不幸と感じる人がいます。平社員でも幸せと感じる人がいれば、社長でも不幸と感じる人がいます。お茶漬けを食べても幸せと感じる人がいれば、ステーキを食べても不幸と感じる人がいます。
幸せか不幸かなんて、本人次第に御座います。
人間は誰しも幸せなところがあれば、不幸なところもあります。幸せばかりとか不幸ばかりなんてありえません。もし仮に、幸せばかりとか不幸ばかりだと思う人間がいるとすれば、それは気が付いていないだけに御座います。
先程に『ピックアップ』という話をしましたが、幸せなところをピックアップするか、不幸なところをピックアップするか、これ凄く重要であります。
幸せなところをピックアップする人間は、不幸までも幸せに変えてしまいます。一方で、不幸なところをピックアップする人間は、幸せまでも不幸に変えてしまいます。
つまり、『俺は幸せだ。私は幸せだ。』と感じる人間は、幸せなところをピックアップする人間であり、『俺は不幸だ。私は不幸だ。』と感じる人間は、不幸なところをピックアップする人間なのです。
どんなに不幸を抱えている人間でも、必ずや幸せなところがあります。
幸せになりたいと思うならば、先ずは自分自身の幸せなところに気付き、その幸せなところをピックアップすることです。不幸なところなんてスルーすれば良いのです。幸せなところをピックアップし、不幸なところをスルーすれば、おのずと不幸は消え去り幸せだけが残るようになります。
幸せか不幸かなんて紙一重です。人間の幸せや不幸という結果は、それぞれ本人が導く結果とも言えるのです。
お茶漬けでも美味しいと思えば美味しいし、ステーキでも不味いと思えば不味いのです。
そもそも人間として生まれたこと自体が幸せであり、聖天様から御縁を授かったこと自体が幸せなのです。これ以上の幸せなんてないと、私は思います。この二つの幸せをピックアップすれば、後の不幸なんて小さなことに御座います。
幸せは幸せを招き、不幸は不幸を招きます。幸せも不幸も、招いているのは、それぞれ本人に御座います。
更に言えば・・・
幸せを幸せとして気付き、幸せをピックアップする人間に対し、聖天様は幸せを授けて下さります。
合掌
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