聖夫婦
退屈とは
新型コロナウィルス感染拡大が一向に収まる気配がみえません。不安に過ごされている方も多いのではないでしょうか。
これ以上の感染拡大を制圧するために史上初となる緊急事態宣言が発出されました。
不要不急の用事以外は外出を控えましょう…と言われています。
この不要不急とは…
「行かなきゃいけない用事でもない急ぎでもない用事」
特に急いでいない、どうしてもでない用事なら外出は控えて家でいて下さい、ということです。
子供が家で退屈していて困っているご家庭も多いのではないでしょうか。家でいても、学校で過ごしているようにずっと勉強してくれれば楽でいいのでしょうが、そうもいきません。
子供たちから「退屈~~!!」という声が聞こえてきます。
退屈という言葉は仏教用語です
することがなくて暇
つまらない、飽き飽きする、嫌気がさす
という使い方をしますが、
仏道修行を続ける気力がなくなり、精進しなくなること
退屈という漢字は、『退=しりぞく、屈=くっする』と書きます。
仏道を求める心が退き屈すること、果たすべき課題が大きいために疲れ果ててしまうこと、つまり、修行の困難に負けて投げ出すことを指していたのです。
漢字の成り立ちからしてもこちらのほうがピンときます。
が、いつの間にか『暇を持て余す』という意味で使われることが一般的となっています。
聖天信仰に退屈?
聖天様とご縁を頂いたのに、なかなか願いが叶わないという理由から「聖天信仰を止める」、聖天信仰を退屈する、聖天信仰を投げ出す、そんな方がいらっしゃいます。
願いが叶わないなら尚更、退屈などしている暇はありません。
稀に、聖天様に丸投げで、ご本人は一切努力もせずに『棚からぼた餅』状態の方がいらっしゃいます。
・・・・・そんなことでは願いは叶いません。
あなたが叶えたい願いに向かって努力する姿を聖天様は見ておられます。そして、一番いい方向へと導いて下さります。
そして、一番良いタイミングでその願いを叶えて下さります。
方法も聖天様らしい方法で叶えてくださることが多いです。時には、えっこんな方法で?という人間では考えられないような方法でその願いを叶えて下さります。
聖天信仰はするもしないもご本人次第
聖天信仰をするもしないもご本人様のお気持ち次第。もちろん聖天信仰をやめたからといって祟られるというような事は決してございません。聖天様のご守護が無くなるだけです。
聖天様はあなたとご縁を繋いだ日からずっとお側で見ておられます。
退屈の心はその方自身が「自ら起こす」ものです。
聖天様を信じることを諦める前にもう一度ご自身の心に問いかけてみるべきです。叶わないと嘆く前に、やるべきことを本当に全てやり尽くしたのか、他にするべきことはないのか。特に大願なら尚更です。
聖天様は他の諸仏諸神様が投げ出した方でもお救い頂ける、現世利益最高神なのですから。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。