僧侶様の法話
さて本日は、昨日掲載致しました永福寺御住職樣の御法話の中に出て参りました【双心の思い】に関して講釈致したいかと存じます。
此の双心の思いとは、謂わば【祈願】と申します言葉に置き換えてお話を進めて参りますが祈願とは、【祈り】と【願い】の二つが含まれて居り【祈り】とは、【日々の報恩感謝と他の命に対する回向】の意味が御座いまして謂わば神佛からの日々与る御縁や功徳に対して感謝し更には、自身の功徳や心を他に回し慈悲心を養い其の心を顕し神佛より与る智恵を生かし日々の生活を致す事に御座います。
【願】とは、謂わば自身の願いで御座いまして其の内容は、多岐に至るかと思います。
先の御法話では、【単身の思い】だけでは、如何にしても恩恵に与る事は、出来ないと断言されて居りますが【単身の思いと双心の思い】の意味を解釈出来なければ本末転倒で御座います。
先程よりお話して居ります通り祈願には、二つの思いが合わさって祈願に御座います。
謂わば【単身の思い】とは、【お願い】だけの思いで御座いまして往々にして現代の方々は、お願いは、一心不乱に致し結果が出れば御礼等々は、するものの【祈り】に関しては、些か無頓着で御座います。
謂わば御法話の通り一方通行の思いで御座いまして此れでは、本当の祈願では、無く神佛の功徳にも与る事は、出来ないと申しして居ります。
では、【双心の思い】に至る為には、如何にするかで御座いますが此れは、神佛の【慈悲、智恵、誓願】を学び体解実行する事で其のスタートとして【是日々好日として神佛に感謝する】事に御座います。
謂わば【有難うの心】で御座いまして日々様々な事が有りますが其れも自身の成長の為としての御縁に感謝し神佛を敬い生活をする事が第一歩だと申されて居ります。
神道の教えを引用致しますが、【迦微(かみ)は人の敬(うやまい)によりて威を増し人は迦微の徳によりて運を添う】と申します通り畏敬と感謝の念を忘れず信心精進する事で神佛は、其の功徳を増し人は、其の徳に与る事が出来ると申します。
言い換えるならば信仰の切っ掛けは、多岐に至るかも知れませんが其の教えや精進を重ねる事により神佛の御心、慈悲に触れ祈りへと還る事が肝要で御座いまして【信に始まり祈りに終わる】の御法話の通り祈りと願は、車の両輪の如く二つで一つに御座いまして其の二つが合わさり【双心の思い】と成り神佛の徳を与る事が出来るので御座います。
天祥 九拝
執筆者:瑞鳳天祥
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