聖夫婦ブログ
聖天様は秘仏です。
それに連鎖してか否か、「聖天様のことは秘密にしておいた方が良い」と思う人がいます。
聖天様のことは誰にも言わず秘密にしておいた方が良いのでしょうか?
聖天様のことは他の人にも伝え知らせてあげた方が良いのでしょうか?
皆さんは、どっちだと思われますか?
あの徳川家康も、聖天様のご利益が、あまりにも大きいが故に、聖天様のご利益を独り占めしたいと考え、「聖天様は怖い神様」とか「聖天様は祟神」とか、ありもしない噂を流したと言われております。
はたして、聖天様のことは秘密にしておいた方が良いのか否か。
その答えは次の通りです。
聖天の法には、「秘めて演(のべ)ずば此の尊の尊き教えにもとるなり」という御言葉があり、これこそが「聖天様のことは秘密にした方が良いのか否か」の答えに御座います。
皆さんは、この「秘めて演ずば此の尊の尊き教えにもとるなり」という言葉を、どのように解釈し理解しますでしょうか。
この「秘めて演ずば」という言葉の意味は、「秘密にし、内緒にし、誰にも言わず、誰にも伝えなければ」という意味であり、「此の尊の尊き教へに」とは、有り難い「聖天様の尊き教え」を意味します。
つまり、「聖天様の尊き教えを秘密にし内緒にし、誰にも言わず、誰にも伝えなければ」という意味になります。
そこで気になるのは、その先と言いますか、結語です。
聖天様の尊き教えを秘密にし内緒にし、誰にも言わず、誰にも伝えなければ、いったいどうなるのか・・・。
その答えは、最後の一文にある「もとるなり」という御言葉が示しております。
この「もとる」という意味は、「背く」とか「反する」という意味で御座います。
これでもうおわかりですね。
聖天の法にある、「秘めて演ずば此の尊の尊き教えにもとるなり」とは、「聖天様の尊き教えを秘密にしたり内緒にしたりすることは、聖天様の教えに背く、聖天様の意に反することである」という意味に御座います。
一人でも多くの人々が聖天様からご縁を授かり、一人でも多くの人々が聖天様に救われるよう、聖天様の教えに従い、聖天様の意に適うよう、聖天様のことは秘めずに精進されて下さい。
ここ聖天様ブログも、この聖天様の教えに従い開設した、聖天様のブログで御座いますが故に、これからも引き続き、一人でも多くの人が聖天様を知り救われるよう、努力精進する所存です。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。
往々にして斯くの如くの言葉が生まれた理由に関して補足致しますと聖天樣は、其の広大な神力に関わらず大変控え目な佛樣で余り表立った事を好まれ無いとも言われ語弊は、御座いますが縁の下の力持ちの樣な方で御座います。
謂わば衆生済度を我が大欲と致しながらも敢えて秘仏とし信仰せよとの教えは、謂わば【理趣経】同様、捉え方を誤ると本来説かれて居ります聖天樣の教えや導きから外れる事を危惧されての事と伺って居ります。
謂わば衆生の欲を満たし心を調えた後に仏道へと導く事が聖天樣の本願に御座いますから戴いた御利益だけを強調するのでは、無く御利益は、控え目に聖天樣の本願と共にお伝えさせて戴く事が肝要かと存じます。