この世を生きていたら様々な出来事があります。
道で転ぶことあれば、タンスの角に足をぶつけることもあるでしょう。
そんな日々の出来事の良し悪しを決めるのは人それぞれだと言えます。
道で転び「転ぶなんて運が悪い」と解釈する人がいれば、「大怪我せず運が良かった」と解釈する人もいます。
全ては人それぞれの意識から行われる解釈によって良し悪しが決まります。
ここでの解釈は自由ですが、その解釈によって出る結果は正直です。
道で転び「転ぶなんて運が悪い」と解釈する人は結果として運が悪くなります。
道で転び「大怪我せず運が良かった」と解釈する人は結果として運が良くなります。
全ては自分で引き寄せる結果なのです。
また、道で転んだことが運が悪いなら、それは以前から運が悪いと解釈しているから道で転ぶのです。
更に、道で転んだことが運が良いなら、それは以前から運が良いと解釈しているから道で転んでも大怪我せず助かるのです。
そして聖天様から御縁を授かり正しい聖天信仰している人は、聖天様の御守護を授かるが故に、道で転んでも「大怪我せず良かった。聖天様が助けてくれた」と解釈します。
そこで「道で転ぶなんて運が悪い」と解釈する人は、聖天様から御縁を授かっていないか、未だに御縁が薄いか、正しい聖天信仰が出来ていない人であると言えるでしょう。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。