僧侶様の法話
執筆者:瑞鳳天祥
さて十一日は、鏡開きの神事の日ですが
今日は、鏡開きに付いて少々講釈して見ましょう
鏡開き(鏡餅)を分ける時の注意点ですが鏡餅を分ける時は、その家の家長が木鎚等を用いて割るのが基本で決して刃物を用いて切らない事が条件と成って居ます。
抑、鏡餅は、その年の歳神樣の魂が宿る神餞の為、刃物を入れる事は、縁を切るとされますし鏡は、太陽を現し即ち天照大神の形代とも謂われ切ると謂う事が非常に縁起が悪いとされます。
些か余談と成りますが【風土記】一説に餅に関する逸話が御座いまして場所は、豊後の国(現在の大分県)の球珠(くず)の都(球珠郡)の豪族のお話に御座います。
其の豪族の土地は、大変肥沃な土地に御座いまして穀物も良く採れる土地に御座いました。
有る日の事、豪族の方々で祝宴を開いた際、酔った勢いから事も有ろうに神餞で供えた餅を弓の的として外へと持ち出し弓の的に致します。
さて、其の餅で御座いますが初めの矢が当たると共に白鳥に姿を変え遥か彼方へと飛び去ります。
其の姿を見て豪族達は、すっかり酔いも醒め畏れおののきますが刻既に遅く其の豪族の治める土地は、一切の作物が育たなく成ったそうで御座います。
要するに山の神が歳神として里に降り田の神(姿が案山子とも言われますが)として豊作をもたらして秋に山へ帰ると謂われる伝承を重ねると神餞を粗末にした事に対して田の神の怒りに触れが白鳥と成って山へ帰り二度と戻らなかった事と成る訳で御座います。
所謂、食べ物を粗末にするなと謂う事と米や餅には、特別な力が宿って居ると謂う事で御座いますな…。
お話を戻しますが一説には、鏡餅の飾りや鏡開きの神事は、武家より一般化したとされ刃物で切ると謂う事は、切腹を連想させる事や祝い事での切ると謂う忌み言葉を転じ運を拓く意味から開くと言い換えます。
又、円形の餅は、魂や命を意味する象と伝えられやはり切ると謂う行為は、寿命を縮めると謂う事から末広がる樣に【開く】と謂う表現としますね
さてお下げした鏡餅は、縁起物ですので(御歳霊⇒おとしだま)として振る舞われます。
因みに子どもが正月に戴く御年玉ですが元々は、歳神様への御下がりで御座いまして
正月の神餞や神前の御供物は、歳神様の力が宿る為、其の御下がりを戴く事は、其の御霊を賜る事から【御歳霊】と呼ばれ元々は、神前の御下がりを家族に振る舞う事でしたが現在は、貨幣にで振る舞われて居りますが元々は、小遣いでは、無く神餞や御供物の蜜柑で御座います。
謂わば御下げした神々の御霊の依り代で有る餅を無病息災を願い家族で善哉(ぜんざい)や汁粉にして頂きます。
若し残った場合は、水餅にすると日持ちがしますし黴が生える事を防ぐ事が出来ますし古来より黴を削ぎ取り湯通しをした後乾燥させ細かく砕き油で揚げるとあられが出来ますので是非おためし下さい
天祥 九拝
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