僧侶様の法話
本日は、【中陰法要】に付いてお話致したいと思います。
先日、地元紙を読んで居る際、有る記事の中に葬儀や法要に関するコラム記事が掲載されて居り
著者は、有る葬儀社の方の様で御座いましたが其のコラムの中に【七十七日法要】成る記述が有り著者の勘違いか校正した新聞社の誤りかは、不明で御座いますが些か困惑した事が本日の講釈の切っ掛けに御座います。
本来の中陰法要は、各宗派様共通に御座いましてのち程詳細に述べたいと思いますが仏式では、四十九日の次は、百ヶ日が御座います。
故に七十七日法要とは、存在致さない訳で御座いまして正式には、【七七日→(しちしちにち)】(四十九日→満中陰)で最近は、葬儀社等でも誤った書き方をして居る場合も多数有る樣で御座います。
余談として別の宗旨では?との疑問を感じられる方もいらっしゃるかと思いますので簡単に主な宗旨の忌明けを御説明致しますと
神式では、葬儀後は、五十日に【神上がり】として祭礼が行われ忌明けと致します。
基督教では、葬儀後、三日、七日、卅日の祈祷を以て忌明けに御座います。
回教では、葬儀後は、墓参は、有りますが以降の故人への特別な祈祷は、無い樣で御座います。
さてお話を戻しますが仏事に於ける法要の意味は、以前、供養に関しての講釈でお話しして居りますので割愛致しますが…。
では、其の詳細を往生要集を元にお話しすると(鬼灯の冷徹でも構いません)先ず、葬儀に於て引導を渡された故人は、七日間掛けて次の世界へと向かい七日毎に各関所に於て生前の罪の裁判を受ける事と成ります。
此の際に縁故者の追善が故人の罪を軽くさせるとして追善の供養が為されます。
此が初七日~四十九日に渡る七日毎の法要と成り本来からすると年忌法要より四十九日迄の供養(中陰供養)が重要と成ります。
詳しく説明致しますと中陰とは、幽世での旅路を意味し謂わば転生に至る迄の旅路と成ります。
では、七日毎の関所での裁判が如何なる罪状を裁くかと言うと仏教徒の保つべき十の戒【十重禁戒】に付いて問われる訳ですが
其の内容は、以下の通りで御座います。
葬儀式【三日目】【開蓮忌】
故人が引導に依って冥土へ向かう
初七日。(しょなのか)
【七日目】【初願忌】
裁判官は秦広王。
お不動様が死者の弁護人。
不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒・の五戒について調べられます。
そして此の後、三途の河【罪に応じて橋(舟)か浅瀬、濁流の何れか】を渡る訳で御座いまして此の際の舟の渡し賃として六文が必要とされまして所謂、【地獄の沙汰も金次第】の由来に御座いまして三途の川の畔には、懸衣翁と奪衣婆が居りまして此の六文銭を持たない亡者の衣服を奪衣婆が剥ぎ取り懸衣翁は、衣領樹に掛け其の枝の撓り具合に因って渡る河を決めるそうで六文銭を渡すと舟で渡る事を許すそうで御座います。
此の六文銭の縁起は、六道から亡者を救う六地蔵若しくは、六観音に対して一文ずつの布施とされて居ります。
要するに六地蔵(六観音)に対して財施をする事で三途の川での予審を逃れる訳で御座います。
二七日(ふたなのか)
【14日目】【以芳忌】
裁判官は初江王。
弁護人は釈迦如来。
殺生(無益に生物の生命を奪った罪)について裁かれます。
初七日の審判の加減や衣領樹の枝の撓り具合がどうだったも、
審理の対象と成るそうです。
三七日(みつなのか)
【21日目】【洒水忌】
裁判官は宋帝王。
弁護人は文殊菩薩。
此処での審判は十戒の中の不邪淫(ふじゃいん)の罪を問われます。
四七日(よつなのか)
【28日目】【阿経忌】
五官王が裁判官。
弁護人、普賢菩薩。
娑婆に居た頃の言葉や行動が裁かれます。
此処では言葉や行動の悪を量る秤があり、拒否する事も出来ず乗せられて、六道のどの来世に向かうのか行く先が粗決まります。
五七日(いつなのか)
【35日目】【小練忌】
閻魔王が裁判官。
弁護は地蔵菩薩。
閻魔大王は如何なる行いも映し出す鏡【浄玻璃の鏡】や嘘を見抜く【人頭杖】を持ち生きて居た頃の悪行を微細なものまで映し出し裁くと謂われて居ります。
六七日(ろくしちにち)
【42日目】【檀弘忌】
裁判官は変成王。
弁護人は弥勒菩薩。
四七日の裁判官、五官王や五七日の裁判官閻魔大王の報告等により、
更に審理が続けられます。
七七日(しちしちにち)
【49日目】【大練忌】
裁判官は泰山王。
弁護人は薬師如来。
六道に転生する為の最後の審判で御座います。
転生を受ける刻にどの六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)を行くかを決められます。
尚、自身が徳を積み重ね更に縁故者の追善が多いと六道より更に上の【聲聞、縁覚、菩薩、佛】の世界へと転生が赦されるそうで御座います。
然し、四十九日までに転生が決まらない者は、六つの鳥居を自己選択する猶予を与えられ自分で決めた転生へ生まれ変わります。
以上の樣に四十九日で殆どの場合、来世が決まるので御座いますがでは、後の年忌法要【百ヶ日(卒哭忌)、一周忌(小祥忌)等】の意味と成りますが此は、故人の罪に因り三悪種(三悪道)【地獄、餓鬼、畜生】に転生した場合を想定致しまして
其の苦しみを軽減させより良い世界へと導く意味が有る為も有りますし又、自分を含め御祖先、佛樣に対しての感謝の意味も御座います。。
ですから本来の意味を考慮すると中陰法要の重要性が御理解戴けるかと思いますし後の年忌法要も無駄では、無いのです。
謂わば法要とは、故人の徳を増し又、其の余慶を戴く為の儀式で御座います。
故に古来より四十九日の間は、香を絶やすな灯りを灯せと謂われ居た訳で謂わば香は、香食と云われ故人の食(兵糧丸)と成り灯りは、死出の旅路の導きと云われて来た由縁と成ります。
昨今は、其れ等の意味を理解せず省略したり説明出来ない葬儀社等が増えましたが法要の意味には、此の樣な意味が有るのです。
因みに生前に戴いた御朱印帳や笈摺(おいずる)、軸を納棺する理由は、各裁判の際、御朱印を戴いた諸仏諸天が弁護団と成って故人を擁護するそうで御座います。
最近では、御朱印の転売等が横行して居りますが其の樣なものでは、無論功徳も冥助も御座いませんが代参に関しては、些か寛容な対応を戴けるそうで御座います。
要するに故人の法要の要は、現在省略されつつ有ります七日毎の中陰法要が第一に御座いまして中陰後の法要は、追善の意味も御座いますが主に施主樣と故人との繋がりを通して佛樣や命の繋がりを考え更に佛樣の教えを聞く報恩感謝の意味合いが御座います。
折りに触れ行われる法要は、先程のお話の樣な意味を持ちまして以前供養に関してお話致しましたが決して儀礼に成らない樣に勤めたいもので御座います。
天祥 九拝
執筆者:瑞鳳天祥
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