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願い叶える為の本人努力か願い叶える為の祈願か

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願い叶えるために大切なことは、願い叶える為の本人努力と、願い叶える為の祈願です。

この両方の力が重なって願いは叶うのです。

人間の力だけで成せることは本人努力だけで良いですが、ここで話す人間の力だけで成せないことは、本人努力と祈願することで願いは叶うのです。

これ何れが欠けても駄目です。

人間の力だけで成せないこと、いくら本人努力しても祈願しなければ叶いませんし、いくら祈願しても本人努力しないと叶いません。

例えば商売繁盛を願う時、24時間365日休み無く一生懸命に仕事しても願いは叶いませんし、何も仕事せず24時間365日祈願しても願いは叶いません。

さて、前置きはこの辺りにして、本題に入ります。

本人努力と祈願が必須であることは、先に述べた通りですが、人間は誰しも1日24時間しか御座いません。

仮に本人努力するあまり祈願する時間がないとか、祈願するあまり本人努力する時間がないという場合は、どすれば良いのでしょうか。

本人努力も祈願も半分力を抜いて両方した方が良いのでしょうか。

それとも何れかに特化した方が良いのでしょうか。

その答えを、これより話します。

仮に何れかに特化することで時間が無いのであれば、本人努力に特化すべきに御座います。

両方しようと半分力を抜いては、願い叶う確率も半減します。

祈願に特化して本人努力を怠っては叶う願いも叶いません。

本人努力に特化して祈願を怠っても叶いません。

仮に時間が無いのであれば、本人努力に特化しながら、祈願は行者に任せれば良いのです。

何度もいいますが、本人努力と祈願は必須です。

本人努力は本人にしか出来ませんが、祈願は他人でも出来ます。

それが行者ともなれば、本人が祈願する以上に、願い叶う確率は増します。

何故か。

私ら聖夫婦も同じですが、聖天様に仕える行者には、其れ相応の力が御座います。

例えばですが、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康なども、聖天様に祈願していたと言われています。

しかし、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康が、何ら本人努力せず、聖天様に祈願していたでしょうか。

おそらくですが、織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も、自らの仕事に没頭し、聖天様への祈願は聖天行者の御祈祷で祈願していたことに存じます。

これ極論かもしれませんが、もし時間が無いのであれば、本人努力と祈願を半分にせず、祈願に特化せず、本人努力に特化せず、自らは本人努力に特化し、祈願は行者に特化した御祈祷を任せれば良いのです。

そうは言っても、手を合わせる時間くらいあるでしょうから、そこは怠らず祈願して下さい。

これは、自ら祈願しなくて良いという話しでは御座いません。

決して勘違いし祈願を怠らないで下さい。

自分の意識次第で、祈願を怠ることにもなりますし、最大限の祈願をすることも出来ます。

自らは本人努力に特化し、出来る範囲内で祈願する努力も怠らない。

その上で足りないところは、行者に任せて祈願をすれば良いという話です。

これ願い叶う秘訣です。

この意が正しく伝わり、皆様の願いが叶いますよう、心から祈念しております。

合掌

成就の心得

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