執筆者:聖パパ
聖天様はどんな願いも叶えてくれる神様ですが、誰にでも叶えてくれる神様じゃなく、何でもかんでも願えば直ぐに叶えてくれる神様でも御座いません。しかし聖天様に願うこと諦めなければ願い叶う可能性が残りますが、諦めたら終わりです。
聖天様に願い続け、なかなか願い叶わないと諦めたら、2つの大きなものを失います。今回は、聖天様に願うも叶わないと諦めた時に失うもの2つ書き記します。
願い叶う未来
先ず1つ目は、当たり前の話として、願い叶う未来です。
聖天様は、人間が願うことで叶えて下さりますが、人間が願うこと諦めたら叶えて下さりません。つまり、聖天様に願うこと諦めた時点で、聖天様から願い叶えてもらう未来を失うのです。
これに関しては誰もが承知のことだと思いますので、次の2つ目に進みます。
過去の努力
次に2つ目は、過去の努力です。
これも当たり前と言えば当たり前なのですが、聖天様に願うこと諦めた時点で、これまで聖天様に願って積み重ねて来た時間や金銭や行動など努力を、全て失うことになります。
これ、勿体ない話です。
聖天様に参拝して祈願した。聖天様にお百度参りし祈願した。自宅で御供し毎朝毎晩の禮拜した。聖天様に御祈祷し祈願した。それらの時間や金銭や行動など努力を、聖天様に願うこと諦めた時点で全て失うことになります。
冒頭にも書きましたが、聖天様はどんな願いも叶えてくれる神様ですが、誰にでも叶えてくれる神様じゃなく、何でもかんでも願えば直ぐに叶えてくれる神様でも御座いません。ということは、願い叶えてもらえる人間になり、願い叶うまで諦めずに願い続ければ、どんな願いも叶えてくれるということです。
聖天様に願うも、なかなか願い叶わないという場合には、其れ相応の理由が存在するのです。まだ時期じゃないのか、まだまだ願い方が足りないのか、まだまだ功徳が足りないのか、聖天様の意に適わぬ間違った願い方や信仰をしているのか、時に立ち止まり考え改善することは必要かと存じますが、なかなか願い叶わないからといって、聖天様に願うこと諦めるのは凄く勿体ないことに御座います。
マラソン選手の君原健二さんで有名な話ですが、君原健二さんは練習やレースの際に苦しくなった時『まず、次の電柱まで走ろう』と念じながら走ったといいます。
聖天様に願い、なかなか願い叶わない時に、そこで止まり諦めるのではなく『まず、次の参拝まで祈願しよう』でも、『まず、次の御祈祷まで祈願しよう』でも良いので、マラソン選手の君原健二さんが『まず、次の電柱まで走ろう』と、念じながら最後まで走りゴールしたように、『まず、次の参拝まで祈願しよう』でも、『まず、次の御祈祷まで祈願しよう』と念じながら、願い叶うまで祈願し願い叶えて下さい。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。