聖天様鎮座のいわれ
山科聖天
ホームページより
【創建】
1665年、公海(江戸時代前期の天台宗の僧)により毘沙門堂門跡の山内寺院として創建されました。
1868年、聖天堂を建立し、門主・公遵法親王念持仏の大聖歓喜天を本尊とした。
と公式ホームページに書いてあります。
【山科聖天の聖天様は】
ということで、山科聖天の聖天様は公遵法親王念持仏の聖天様がお祀りされているということです。
山科聖天には公遵法親王念持仏の聖天様以外にも戦国武将・武田信玄(1521-1573)を始め信徒や寺院から奉納された聖天像70数体も合祀されているそうです。
霊験あらたかな「山科聖天」と呼ばれているそうです。
公海さんはどんな人?
山科聖天は公海さんにより創建されたということですが、この公海さんとはどの様なお方なのでしょうか…。
1620年(元和6年)天海僧正の門に入ったそうです。
1643年(寛永20年)天海僧正没。
天海僧正没後公海さんはその法をついで東叡山寛永寺に住します。そして、天台宗の総本山である比叡山・徳川家康を祀る東照宮のある日光山を管理下に置いて天台宗一宗を管領するようになったといいます。
ちなみに寛永寺は、開基は江戸幕府3代将軍の徳川家光で開山は天海僧正、本尊は薬師如来だということです。寛永寺は、徳川将軍家の祈祷所・菩提寺ということでも有名で、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠っておられるそうです。
1647年(正保4年)に僧正に任じられます。
※僧官の最上級。大僧正・僧正・権(ごん)僧正の三つがある。
翌1648年(正保5年)には大僧正に就任。
後に守澄法親王に三山の管理者の地位を譲ります。
天海僧正の遺志をつぎ山科(現在:京都市山科区)毘沙門堂を復興されました。
公遵法親王はどんな人?
公遵法親王は中御門天皇の第二皇子です。
享保7年1月3日生まれ。
母は清水谷石子さん。
享保15年親王宣下をうけ,16年京都毘沙門堂にはいり出家されました。
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