聖夫婦ブログ
誰かに何かを願う時、其れ相応の姿勢というものが御座います。人間に対し何かを願う時にでも、其れ相応の姿勢というものがあり、横着な姿勢で願っても相手は受け入れてくれません。ましてや相手が聖天様ともなれば尚更のことであり、聖天様に対し其れ相応の姿勢が求められます。
この姿勢とは難しいことにあらず、一般常識としての姿勢に御座います。
例えば、人間に対し何かを願うも、スマホでゲームしながら、誰かとLINEしながら、テレビを見ながらなど、そんな姿勢で願って誰が受け入れてくれるでしょうか。そんな横着な願い方をしても、誰も受け入れてくれません。
聖天様に対しても同じことです。
この世には、「神仏様は人間の願いを聞くこと当たり前。」「神仏様は人間の願いを叶えること当たり前。」と思っているような人間がいます。その当たり前という意識から生まれる行動は横着となり、その横着さが祈願に表れます。
例えばですが、願い事と全く関係のない、他のことを意識しながらの祈願など、心ここにあらず、という祈願をされている人がいます。
寺社などで見ていても、手を合わせたと思ったら、わずか数秒で終えて帰る人がいます。そんな数秒で日々の感謝や、自分の住所・氏名・生年月日・数え年や、願い事を神仏様に伝えること不可能であり、「それで良いのですか?神仏様に願い届いていませんよ!」と、声をかけたくなるくらいです。
ひどい人になれば、あくびをしながら祈願している人もいます。(笑)
人間に対しても、何かを願う時には、「お願いします!」と、心を込めて願うものであり、相手が聖天様ともなれば尚更のこと、真心を込めて祈願するのが普通であり礼儀であり正しい姿勢であると言えます。
人間が神仏様に願うこと当たり前では御座いません。神仏様が人間の願い聞くこと当たり前では御座いません。神仏様が人間の願い叶えること当たり前では御座いません。
ましてや聖天様に願うなら、心ここにあらずというような願い方をせず、其れ相応の姿勢をもって、願うこと普通であり礼儀であり正しい姿勢であり、願いが届き叶えて下さると存じます。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。
聖天様、聖パパ様、聖ママ様
こんにちは、
いつもお世話になっております、マルです
私は、いつもお参りさせて頂いている寺院の住職様に
ゆっくりお話してってねとありがたいお言葉に甘えて毎回、1~2時間は普通におります。挨拶、住所、氏名、生年月日、数え年、真言、日頃の感謝の気持ちを伝えているのですが毎回、寺院に参れたことが嬉しくて、願い事していないことに気がつきます。
でも、願い事をしていないのですが、不思議と叶っている様な気がします。
また、必ずおみくじを引くのですが、それが、聖天様のお言葉、お話している様な気持ちになります。。。
お世話になります。(*^^*)
>毎回、1~2時間は普通におります。挨拶、住所、氏名、生年月日、数え年、真言、日頃の感謝の気持ちを伝えている
マル様の正しい姿勢に聖天様が心願を叶えて下さるのです。
間違った姿勢で願い事を言うも願いは通じませんが、正しい姿勢であれば願い事を言わずとも心願は通じます。
聖天様は神様ですから(*^^*)
合掌