聖天様(歓喜天)は人間を見捨てたり致しませんが、見離しますので注意が必要です。
これは「聖天信仰の心得十二条」にも記されている事実です。
先ずは、聖天信仰の心得十二条に記されている該当項目を見てみましょう。
※いくら熱心でも、いつまでも「我欲」のみの信仰をしていては、聖天様の思召に添わないから、 いつかは見離されて、大きなご利益は頂けない。よくよく心すべきである。
簡単に要約すれば「いつかは貢献できる人間になりなさい」ということです。
聖天様(歓喜天)からご縁を授かる時は自分のことで精一杯かと存じます。
私ら夫婦も自分らのことで精一杯でした。
しかし、聖天様(歓喜天)に救われて、何か恩返しが出来ないかとのキッカケで始めた1つが聖天様ブログです。
聖天様(歓喜天)は人を選ぶ神様であり、聖天様(歓喜天)からご縁を授からない限り信仰は出来ないこと申すまでも無いですが、聖天様(歓喜天)はご縁を授けた人間を決して見捨てたり致しません。
ただ見離すことは有ります。
例えば金運隆昌を願い、聖天様(歓喜天)からご利益を授かり大金持ちになる。
そして、多くの場合に財力を成した人間は、次に権力や名誉を欲しがります。
そして何時までも我欲に走り、次に不老不死なんて言い出したら病気です。(笑)
少し例えが極端すぎかと存じますが、そんな人間が居ることも確かです。(笑)
先ずは自分が救われなければ、他人を救うことは出来ません。
これは聖天様(歓喜天)もご承知で御座います。
しかし、何時までも我欲に走らず「世のため」「他人のため」など貢献し生きること大切です。
聖天様(歓喜天)に対し変わらぬ信仰や御礼は勿論のこと、寺院へ対する御礼や感謝、または社会に他人に優しくできる貢献できる人間であってこそ、聖天様(歓喜天)は更なるご利益を授けて下さるのです。
それを何時までも我欲のみ求め聖天信仰しても、いつかは聖天様(歓喜天)に見離されてしまい、もう大きなご利益は授かれないということです。
先ずは自分のために一心不乱に聖天信仰しましょう!
そして聖天様(歓喜天)からご利益を授かり願いが叶ったら、喜びと感謝の気持ちで何か貢献できる人間になって下さい。
つまりは熱心だけでは駄目だということにて心して下さい!
自分の幸せを願うなら他人の幸せも願うべきです。
自分の行いで他人が幸せになれば、必然的に自分も幸せになれます。
そして聖天様(歓喜天)は、お喜びになられます。
皆様も聖天様(歓喜天)から見捨てられたりはしませんが、見離されないように気をつけて下さいね!(笑)
合掌
執筆者:聖パパ
皆様からのコメントお待ちしております。