聖天様(歓喜天)に浴油祈祷して祈願成就というご利益を授かるに、今回お話する「功徳」は最も重要なキーワードです。
功徳なくして祈願成就など無い!と言っても決して過言では御座いません。
聖天様(歓喜天)に祈願成就というご利益を授かる為に浴油祈祷したりすれど、自らに功徳がなくては先ずは叶いませぬ。
功徳
ここで言う功徳とは、少し例えが悪いかもしれませんが「功徳=お金」と考えれば理解しやすいのかもしれません。
ご利益を授かるか授からないかは、その人間の持つ功徳の量によって決まると言っても良いくらい功徳とは大切なものです。
その功徳を沢山積んだ人は、ご利益を授かりやすいですが、功徳を積まぬ人は、ご利益を授かり難いです。
聖天様(歓喜天)に浴油祈祷して「祈願成就しない、ご利益を授からない」と他の諸仏諸神様に浮気したり、初めにご縁を授かった寺院から別の寺院へ浮気したりする方も居ますが、これは明らかな間違いです。
そのようなことをする方に限って功徳は薄いと言えるでしょう。
仮に、聖天様(歓喜天)に浴油祈祷して「祈願成就しない、ご利益を授からない」と感じたなら、他の諸仏諸神様や寺院に浮気せず、己の功徳を積むべきなのです。
功徳の貸借
基本的に諸仏諸神様からご利益を授かるに功徳の量が関係すると言われており、功徳の薄き者はご利益を授かり難いと言います。
ところが聖天様(歓喜天)に限っては、功徳が薄くとも先に祈願成就というご利益を授けて下さる場合もあります。
基本的な諸仏諸神様は「お腹が空いた」と泣く子供が居たとすれば、「泣くでない」と教えますが、聖天様(歓喜天)は先に食べ物を与えて子供の欲望を満たしてから「泣くでない」と教えます。
この場合に私ら人間は、先に聖天様(歓喜天)から功徳をお借りしたと思うべしなのです。
先にも記した通り、少し例えが不謹慎ですが、「功徳=お金」として例えるならば、聖天様(歓喜天)からお金を借りたにも関わらず、貰ったと思い返済しなければ、そのお金は全て回収され二度と貸しては貰えません。
聖天様(歓喜天)は神様ですから「貸した金を返せ」なんて言いませんが、我々人間側の礼儀として借りたものを返すのは当たり前のことです。
そんな当たり前のことすら出来ない人間が聖天様(歓喜天)からご利益を授かるなど一度はあれど二度は御座いません。
聖天様(歓喜天)とご縁を結ぶと言うことは終わることのない聖天信仰を行うことになりますが、絶大なご利益を授かり生涯かけて功徳を積みお返しすると考えれば、それも合致します。
合掌
執筆者:聖パパ
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