聖夫婦ブログ
日々生きていると、いろいろなことが御座います。吉と言える良いことがあれば、凶と言える悪いこともあるでしょう。しかし、あなたが判断した吉凶は正しいのでしょうか。ひょっとしたら吉と言える良いことなのに、あなた自身が凶と言える悪いことだと間違った判断をしていないでしょうか。それ、今後に影響しますよ。
同じ出来事であっても、人それぞれの解釈と言いますか判断によって、吉ともなるし凶ともなるのが、世の常に御座います。
例えば・・・。
交通渋滞にあった。これを、「最悪だ、ツイてないや。」と解釈し、凶と判断するのか、これを、「良かった。この交通渋滞が無ければ、交通事故に合っていたのかもしれないな。」と解釈し、吉と判断するのかです。
仕事でミスをした。これを、「最悪だ、また上司に怒られた。しかしムカつく。」と解釈し、凶と判断するのか、これを、「良かった。これでもう同じミスはしないだろう。」と解釈し、吉と判断するのかです。
普段から身に付けている念珠ブレスが切れた。これを、「最悪だ、縁起が悪い、何か良くないことが起こりそうだ。」と解釈し、凶と判断するのか、これを、「良かった。きっと何かの身代わりになってくれたんだ。これも厄除になったな。」と解釈し、吉と判断するかです。
つまり先程も書き記しました通り、この世で起こる多くの出来事は、人それぞれの解釈と判断によって、吉ともなれば凶ともなるのです。
何事も凶と判断すれば気分が悪くなります。何事も吉と判断すれば気分が良くなります。さぁ、あなたは、どちらが良いですか?これは誰もが同じと存じますが、気分が悪くなるよりは、気分が良くなる方が良いですよね。例え一時的であったとしても、気分が悪いよりは気分が良い方が良いに決まっています。
更に、ここからが大切です。
いかなる出来事であれ、吉と判断するか凶と判断するかで、気分の良し悪しあれど、これは一時的な結果に終わらず、今後に影響し連鎖するのです。
いかなる出来事であれ、凶と判断しておれば、今後とも凶が凶を招きますし、いかなる出来事であれ、吉と判断しておれば、今後とも吉が吉を招きます。つまり、この世の出来事による吉凶は、自らが招いていると言っても、決して過言では無いのです。
更に言えば、聖天様に何かを願うも、自ら凶を招けば聖天様からのご利益を受け取ることが出来ませんし、自ら吉を招けば聖天様からのご利益を受け取ることが出来て願い叶うと言えるのです。
本日は、何かありましたか?
それは、吉ですか?凶ですか?
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。