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泉先生遂に山へ⑧

瀬戸大橋
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このお話は、村木 幸次郎さんが泉庄太郎先生の伝記をまとめられた『泉聖天尊』より 抜粋引用した泉庄太郎先生と聖天様のお話です。

小坊主
小坊主
前回はいきなり私の手を握って御遺言というお話だったけど覚えてる?
泉先生遂に山へ⑦
このお話は、村木 幸次郎さんが泉庄太郎先生の伝記をまとめられた『泉聖天尊』より 抜粋引用した泉庄太郎...
女性
女性
もちろん!本日のお話は?
小坊主
小坊主
泉先生遂に山へ⑧のお話!

泉先生遂に山へ

いきなり私の手を握って御遺言中の泉先生のお言葉を検証

小坊主
小坊主
前回、訪ねてきた村木さんの手を握って泉先生は御遺言をされたんだけど、
小坊主
小坊主
さらりと、未来予想をされていたんだったよね?
女性
女性
ええ、沢山話されてましたよね。
泉先生
泉先生
「今から3年も経つと、あなたは、神前へお供えする物を造る様になる。」
小坊主
小坊主
まず、こう仰った部分のお話からするね。
小坊主
小坊主
先生が亡くなられたのは、大正7年11月9日だったよね。
女性
女性
そうでした。
小坊主
小坊主
予言では、3年後だから、大正10年頃に『神前へお供えする物を造る』ということだね。
女性
女性
そうですね。
小坊主
小坊主
実は、おそろしいほど当たってるんだ。
小坊主
小坊主
村木さんのお父さんのご友人に仲須政吉さんという方がいらっしゃったんだ。
小坊主
小坊主
その仲須政吉さんは、泉先生が亡くなられた大正7年に、全国的に流行った悪質なスペイン風邪で、ご夫婦共に亡くなったのだとか。
小坊主
小坊主
仲須政吉さんは、実は、焼酎の製造をしていたんだ。
小坊主
小坊主
仲須政吉さんは、大正6年に創業し、「田舎一」「名花」などの清酒を発売していたんだって。
女性
女性
では、夫婦揃って亡くなられて、酒造はどうなったのですか?
小坊主
小坊主
ご夫婦揃って亡くなられたので、この蔵に資本参加していた村木さんがこの蔵の後を引継いだんだ。
小坊主
小坊主
そして、大正10年に改めて創業し、「冨久俵」「三ッ拍子」などを醸造したんだって。
小坊主
小坊主
屋号は「三拍子酒造」、「三ッ拍子」がよく売れたのかな?
女性
女性
わ~でた~!!お酒ですね!
小坊主
小坊主
そうなんだ。お酒は神前にお供えする物。
小坊主
小坊主
泉先生の仰ったことがドンピシャあたりなんだ。
小坊主
小坊主
では次…
泉先生
泉先生
「又、30年程も経つと世界中に血の雨が降る。」
小坊主
小坊主
次に、こう仰った部分のお話をするね。
女性
女性
はい、聞きたいです。
小坊主
小坊主
世界中に血の雨を降らせたのは、満州事変から大東亜戦、そして第二次世界大戦。
小坊主
小坊主
大正7年が1918年、
小坊主
小坊主
満州事変が、1931年(昭和6年)、
小坊主
小坊主
第二次世界大戦が1939年9月1日 から 1945年9月2日。
小坊主
小坊主
30年ほど…ね?
小坊主
小坊主
これもドンピシャ!
女性
女性
あたりですね。
小坊主
小坊主
更に、
泉先生
泉先生
「その頃、天から降ったか、地から湧いたか、と思わせる程の宝があなたに授けられる。」
小坊主
小坊主
次は、こう仰った部分のお話をするね。
小坊主
小坊主
これも大当たりなんだ。
小坊主
小坊主
酒造を生業とする村木さんが、鳴門の浜を埋め立てすることとなったんだって。
小坊主
小坊主
そして、世界中に血の雨を降らせた第二次世界大戦の後、出来上った埋立地3万坪の一部が、本土と四国をつなぐ交通路の用地として御用達することとなったんだって。
小坊主
小坊主
その残りの広い地面の一部を又、製塩会社の為に提供したんだ。
小坊主
小坊主
その後、淡路島と明石をつなぐ大計画が実現した暁には、又思いがけぬお役に立つだろうと思っている。と言っておられた。
小坊主
小坊主
凄いよね!
女性
女性
凄すぎます!
小坊主
小坊主
今回のお話はここまで。
小坊主
小坊主
では、次もお楽しみに~

合掌

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泉先生遂に山へ⑦
このお話は、村木 幸次郎さんが泉庄太郎先生の伝記をまとめられた『泉聖天尊』より 抜粋引用した泉庄太郎...
聖天様と泉庄太郎

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