ひたすらすがり、お任せし、その時期を待つ
聖天信仰の心得十二条に「本当の信仰とは、お聖天様にひたすらおすがりして、一切をあげておまかせすることである。」と記されております。
ところが、この「おまかせする」というのが、人間にとっては凄く難しいようで、ついつい「まだかな」とか「早く叶えて欲しい」と願います。
また、聖天信仰の心得十二条に「お願いの叶わぬときは、未だその時期でないのか、誤った願い方をしていたか、または聖天様のお気持に反するような、お詣りの仕方をしていたからであるから、特に反省してみる必要がある。」と記されております。
ここの誤った願い方や聖天様(歓喜天)のお気持ちに反するようなという部分は自ら改善できるとしても、「未だその時期ではない」という部分は待つしか御座いません。
聖天様(歓喜天)は、どんな願いも叶えてくれる神様であり、聖天様(歓喜天)は、他の諸仏諸神様で叶わぬ願いも叶えてくれる神様であり、現世利益の最強神です。
そこで、聖天様(歓喜天)に願えば直ぐに叶えてくれると思っている人が多く居ます。
しかし、聖天様(歓喜天)は最も良い時期に叶えて下さるので、何でもかんでも願えば直ぐに願いを叶えて下さると思ったら大間違いです。
子供が親に「おもちゃ買って」と願い、何でもかんでも直ぐに買い与えていると、子供にとっても何ら有り難みがなく、立派な大人には育ちません。
例えば誕生日とかクリスマスとか、待つという、我慢するという、耐えるということを学んだ上で与えられたら、心から歓喜し大切にするでしょう。
つまり、親が子供の願いを叶えるも、その子供にとって最も良い時期というものが存在するのです。
親は子供に対し、そこまで考えてあげなくてはならないのです。
そしてまた、聖天様(歓喜天)は聖天信仰者にとっての親です。
聖天様(歓喜天)は、子供にとって最も良い時期に願い叶えてくれるのです。
それを待てず「叶えてくれない」と家出したり、親不孝ばかりしていると、いつまでたっても親は願い叶えてくれません。
それと同じく「叶えてくれない」と聖天信仰をやめてしまったり、聖天信仰を怠れば、ますます願い叶えてもらえなくなります。
聖天信仰の心得十二条にある「ひたすらすがり、お任せし、その時期を待つ」ことが、聖天様(歓喜天)に願い叶えてもらう為には、大切だと言えるのです。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。
聖パパ様
いつも、心温まりまた勇気づけさせていただける記事ありがとうございます。
本当に読ませていただいて考えが深まり、自分と向き合うことに気づかせていただいたりします。
本当にありがとうございます。
コメント有難う御座います。
お役に立てれば嬉しいです。
これからも宜しくお願い致します。
合掌
いつも拝見させて頂いております。
ためになる記事を掲載頂きありがとうございます。
数年前に聖天様を知り、昨年春に初めて待乳山様で浴油祈祷をお願いさせて頂きましたが、その直後からお願いと真逆の方向に事態が悪化してしまいました。
聖天様への信仰を辞めるつもりは毛頭ないのですが、聖天様の思し召しがどのようなものかを悩んでおります。
1. まだ時期じゃないけど時期が来たらちゃんと叶うから待ってなさい
2. 今悪化しているのは願いが叶う前の準備やら試練だから辛抱して待ってなさい
3. その願いはあなたのためにならないから別の方向で叶えるよ
ちなみに祈祷の結願の日に引いたおみくじは「吉」で、「叶うべし」と書いてありました。
というか、年末年始等の際に度々おみくじを引かせて頂きますが、ほとんど「吉・叶うべし」です。
漢詩の内容も、これから良くなっていくぞ的な感じでした。
例え思し召しが「3」のパターンであっても、最初に浴油祈祷でお願いした願意でお願いし続けて問題ないでしょうか。
「3」のパターンでも同じ願意でお願いし続けて、「それじゃダメなんだってば!」とお叱りを受けたりしないでしょうか。
アドバイス頂ければ幸いです。
もし、他の記事に既に書かれておりましたら、申し訳ございません。
コメント有難う御座います。
仮に3番であってもお叱りを受けることは御座いませんのでお願いし続けても大丈夫です。
合掌
アドバイス頂きありがとうございます。
やはり相手が偉大な神仏ですと、お優しいと聞いていても、失礼にならないか気になってしまいますね(汗)
今のお願いで日々一心にお祈りし、聖天様の思し召しを気長に待ちたいと思います。
お気持ちは理解します^^
今後も御縁を深められて下さい。
合掌