聖夫婦
聖天様はどんな願いも叶えてくれる神様です。しかし、どんな人間にも叶えてくれる神様じゃ御座いません。聖天様に願い叶えてもらえる人間になるためには、少なくとも聖天信仰の心得十二条を正しく理解し実行することが求められると言えます。
その聖天信仰の心得十二条の中に、「本当の信仰とは、お聖天様にひたすらおすがりして、一切をあげておまかせすることである。」と書き記されてあります。
今回は、この聖天信仰の心得十二条にある、「ご利益を少しも疑わず・・・。」という条文に関する内容です。ここで書き記されている、「ご利益を少しも疑わず」とは、聖天様に何らかの願い事をしたら、聖天様のご利益により願い叶うこと少しも疑わない。」という意味です。
聖天様のご利益により願い叶うこと少しも疑わないということは、「願いかなわないかもしれない」とか、「願い叶わなかったらどうしよう」というような、不安や心配は無いということです。
逆に言えば、聖天様に何かを願うも、「願いかなわないかもしれない」とか、「願い叶わなかったらどうしよう」など、不安や心配があるということは、そこに疑いがある証とも言えます。
しかしそうは言っても、どうしても不安になったり心配したりしてしまうのが、人間の常とも言えます。そんな時に、「不安に思っては駄目だ。心配しては駄目だ。聖天様のご利益を疑うことになる。駄目だ。」と、無理に不安や心配を無くそうとしないことです。無理に不安や心配を無くそうとすればするほど不安になり心配になると存じます。
それでは、不安や心配になる気持ちを、いったいどうすれば良いのでしょうか。そんな不安や心配は無理に無くそうとせず、聖天様に全てお預けすれば良いのです。不安や心配を無くそうとせず、不安や心配を認めた上で聖天様にお預けするのです。
少なくとも不安や心配を抱くことで良い結果は生まれません。不安や心配を抱けば抱くほど悪い結果を引き寄せます。これも人の常であり世の常です。
聖天様に何らかの願い事をする人間は、その願いが叶うように、聖天様に願いを叶えてもらえるように、最善の努力をするべしに御座います。
聖天様に何かを願うも、不安や心配は願い叶う足を引っ張ります。自ら願い叶えて欲しいと言いながら、不安や心配で願い叶う足を引っ張っては、本末転倒です。
聖天様に願うということは、自分の力では叶わない願いであるということです。自分の力で願い叶わないから、どんな願いも叶えてくれる聖天様に願うのです。つまりは、聖天様にお任せするしか無いのです。それを正しく理解すれば、願い叶う邪魔をする不安や心配も、全て聖天様にお預けできると思います。
タイトルにある、「不安や心配を〇〇できた時に願いは叶う。」とは、「不安や心配を聖天様にお預けできた時に願いは叶う。」という意味であり、これは決して過言でないと存じます。
不安や心配は、願い叶う邪魔をするだけじゃなく、心にも身体にも良くないですからね!(笑)
合掌
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