ご利益ありきの信仰は願い叶い難し
前回お金に好かれる心得という記事で「お金は追うべからず」と書きましたが、これは御利益も同じと言えます。
聖天信仰者の中に、御利益を追う信仰をされている人が居ます。
御利益を追う信仰とは、どんな信仰でしょうか。
※何回浴油祈祷したら願い叶うのか。
※何回か浴油祈祷したけど願い叶わない。
※何回参拝したら願い叶うのか。
※何回か参拝したけど願い叶わない。
※自宅で御真言を唱えたら願い叶うのか。
※自宅で御真言を1000回唱えたけど願い叶わない。
※その他
以上、簡単に言えば「御利益ありきの信仰」こそ御利益を追う信仰と言えます。
何をしたら叶うのか、何回したら叶うのか、それは聖天様(歓喜天)のみ知ることでありますが、聖天様(歓喜天)は何を何回して欲しいなど求めておらず、何を何回するかは願主である人間側の問題と言えます。
また、何をしたら叶うのか、何回したら叶うのか、という御利益ありきの意識というか信仰で願いが叶うとは思えません。
そもそも御利益とは、お金と同じく後から付いて来るものです。
何をしたら叶うのかではなく、先ずは何が出来るのかと考え一生懸命に努力精進すべしです。
何回したら叶うのかではなく、御利益を授かるまで努力精進すべしです。
御利益を追う信仰しても御利益は逃げます。
御利益を授けて欲しければ、先ずは自ら真摯な気持ちで信仰されるべしです。
お金ありきで「好きです!」なんて、告白されても嬉しくないのと同じです。(笑)
御利益を追わず一生懸命に正しく信仰することで、御利益は後から勝手に付いて来ます。
つまり、聖天様(歓喜天)が授けて下さるのです。
【追記】
これは祈願しては駄目という意味ではなく、御利益ありきな信仰という意味ですから、どうぞ一心不乱に祈願して下さい。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。
初めまして。よろしくお願い致します。
聖天信仰の手引き内の聖天信仰の秘訣の中に「乳を求めて母親を呼ぶみどり児の如ひたすらに」と大聖歓喜尊天和讚には書いて有り、あれやこれや考えず願望を一心に求めて下さい。そうすれば願い叶いますと有ります。しかしながら、こちらのブログには願望を追えば願望は逃げ叶わぬ❗と有ります。拝礼中に「聖天様、叶えて下さい!」と祈願拝礼をしてはいけないと言う内容でしょうか?
そうなると、祈願拝礼中は何を祈願したら良いのでしょうか?
はじめまして、コメント有難う御座います。
>あれやこれや考えず願望を一心に求めて下さい。
聖天信仰の手引きにある通りで御座います。
あれやこれや(御利益ありき)考えず一心不乱に祈願して下さい。
>願望を追えば願望は逃げ叶わぬ
願望ではなく御利益です。
私の書き方が誤解を生じさせたようであれば恐縮ですが、願望を祈願しては駄目という意味ではなく、御利益ありきな信仰は本当の信仰とは言えませんよという意味です。
ご理解頂けましたでようか。
これからも宜しくお願い致します。
合掌
お返事ありがとうございます。
まだまだ未熟なのでうまく理解出来ないのですが、
願望を叶えて欲しい❗=ご利益が欲しい❗
では無いのですか?
「聖天様に喜んで頂く為に功徳を積んだり、祈願拝礼もキチンと行おう。」と言う行いにはどこか「ご利益が欲しい❗」の気持ちが有ると思いますが、これは、ご利益の追求になるのでは有りませんか?
はい、願望を叶えて欲しい!=御利益が欲しい!です。
ただ、御利益ありきではなく信仰ありきな信仰をしましょうと言う意味です。
つまり「あれをしたから、これをしたから」というような意識を意味します。
御利益ありきな信仰している人間が願い叶うと目標達成にて信仰をやめます。
玉の輿に乗りたい人が財閥と結婚したいなら、お金ありきではなく、その相手を一生涯愛しなさいという意味です。
合掌
願望実現に必死な人は、ちゃんと願望に向き合っておらず、「何をすれば叶うのか」、「本当にこれをやれば叶うのか」、という方法論にばかり目が行っていることが多く、願望が叶う方法が知りたいということが願望になっている。と、聞いた事が有ります。これは以前の私の状況と同じでした。
又、1度、聖天様に向かって、一心不乱に願望をぶつけてみると、それは聖天様に向かっていると同時に、自分自身に向き合っていることになる。そうして、願望が叶うんだ、という確信が心の中に芽生えた頃には、状況が動いているはず。とも、聞きました。
叶う筈の無い意識の私に向かい合って下さった聖天様と聖パパ様に感謝致します。
有り難いコメントに感謝です!
これコメントにしておくのは勿体無いですね!(^^ゞ
読者様ブログに投稿して下されば救われる人も多いかと存じます!^^
合掌
了解致しました(^^)後程、投稿させて頂きます。(^^)
有難う御座います!
出来るだけ詳しく皆様に伝えてあげて下さい。
楽しみにしております!^^
合掌