この世には神仏様を信仰する人がいれば信仰しない人もいます。
信仰する人は何らかの形で信仰の縁が結ばれます。
そんな信仰の縁にも良縁あれば悪縁が御座います。
良縁と言える信仰は自然と神仏様から授かります。
神仏様から良縁を授かることで宗派や寺社の縁も繋がります。
そして救われるのです。
本当の信仰のご縁は神仏様の意により自然と授かるものであり、勧誘など人間の意により授かるものでは御座いません。
だから私ら聖夫婦も「聖天様を信仰しなさい」とか「うちで信仰しなさい」なんて勧誘は一切致しません。
どの神仏様を信仰するのか、何処で信仰するのか、それは神仏様から授かるご縁によって決まるものであり、人間が勧誘して決めるものでは無いからです。
そうは言っても人間の勧誘によって信仰の良縁となる人もいますので全面否定は致しません。
ただ人間の強引な勧誘による信仰には良い結果にならないリスクがあるということです。
神仏様から自然と授かる信仰の縁には何ら一切のリスクは御座いません。
特に聖天様は人を選ぶ神様です。
聖天様からご縁を授かれば人間が邪魔をしても聖天様とのご縁は繋がります。
聖天様からご縁を授からなければ人間が勧誘しても聖天様とのご縁は繋がりません。
信仰のご縁とは、そういうものです。
それでは本質に入ります。
この世には昔から信仰に対する勧誘が多く行われています。
そこでこれを言われたら要注意という言葉が御座いますので助言しておきます。
仮に◯◯を信仰しなさいとか、◯◯の信者になりなさいとか勧誘され断った時に、「良くないよ」とか「不幸になるよ」なんていう所は要注意です。
先に話しました通り、本当の信仰の縁は神仏様から自然と授かるものであり、人間に勧誘され断ったからと言って悪くなったり不幸になったり絶対に致しません。
もはや悪魔の囁きとも言える不徳な言葉に御座います。
この世には、そんな言葉に怯える人もいますが、何ら怯えることは御座いません。
本当に怯えるべき者は「良くないよ」とか「不幸になるよ」なんていう人間に御座います。
他人に悪魔の囁きした因果応報の報いは必ず受けますし決して逃れることは出来ません。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。