皆さんは「君原健二」という陸上(マラソン)選手をご存知でしょうか。
私は偉そうなこと言いながらも、あまり深くは知りません。(^^ゞ
ただ、この君原健二選手の「次の電柱まで」という名言は知っています。
これは有名な名言ですから知っている人は多いでしょう。
君原健二選手は走りながら苦しい時「次の電柱まで走ろう」と頑張って走り、そして次の電柱まで来ると、また「次の電柱まで走ろう」と頑張ってゴールまで走り続けたそうです。
これ聖天信仰にも言えることかと思います。
そもそも願い事というものは、そう簡単に叶うものでは御座いません。
だって簡単に願い叶うなら、この世に悩み苦しむ人は居なくなります。
また、聖天様(歓喜天)にする願い事は、大願である場合が多いです。
そして、大願であればあるほどマラソンのように長期戦となるのです。
聖天様(歓喜天)に願っても願っても願い叶わない。
更には叶わないどころか叶う兆しすら見えてこない。
要はマラソンでゴールが見えないのと同じ状況です。
ゴールが見えないからと言って諦めたら終わりです。
願い叶う兆しが見えないからと諦めたら終わりです。
マラソンのゴールは、あるていど距離が読めますが、願い叶うゴールは、まったく距離が読めません。
つまり、明日に願い叶うかも知れないし、6時間後、1時間後には、願いが叶うかもしれないのです。
聖天様(歓喜天)に願い叶えて欲しいと願うなら、最後まで走り続けるべしです。
途中で苦しくなったら「次の電柱まで」という名言を思い出して頑張るべしです。
走り続けるのは辛く苦しいことであり、途中で挫折するのは簡単で楽なことかもしれません。
しかし、結果的には諦め挫折すること苦であり、走り続けることが幸であると知るべしです。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。