「盆と正月が、なんだか怖い」――その気持ちに、蓋をしていませんか
子や孫が帰ってくる。それは嬉しいはずのことなのに、近づくにつれて気が重くなる。どかどかと来て、好き放題して、帰っていく。お年玉は当たり前、年金暮らしのこちらの事情はおかまいなし。そして、帰る日をこっそり指折り数えている自分に気づいて、ふと罪悪感がよぎる。あなたは、そんな複雑な胸の内を抱えていませんか。
私たち聖夫婦のもとには、年齢を重ねた方から、こうした声にならない声が届きます。まず、その気持ちを恥じる必要はまったくないことを、お伝えしたいのです。
あなたは、ずっと家族に尽くしてきた
子どもを育て上げ、今も孫のためにと心を配る。年金の中からお年玉を用意し、帰省のたびにご馳走をこしらえる。あなたは、与える側であり続けてきました。その積み重ねを、聖天様は知っておられます。
疲れてしまうことがあって当たり前なのです。「早く帰らないかな」と思うのは、家族が嫌いだからではありません。長いあいだ尽くし続けてきた人の、正直な疲れの声にすぎません。
本当に寂しいのは、賑やかさが去ったあとに残るもの
にぎやかな数日が終わり、家が急に静かになる。そのとき、いちばん胸に沁みるのは何でしょうか。それはおそらく、「ありがとう」の一言が、どこにもなかったことではないでしょうか。
もてなしても、お年玉を渡しても、当たり前のように受け取られて終わる。あなたが本当に欲しかったのは、感謝され、大切にされているという、たしかな手応えだったのかもしれません。物ではなく、心のやりとりが足りていなかったのです。
聖天様は、こう説かれます
「尽くすことばかりが、愛ではないのじゃ。頼ること、甘えること、それもまた家族というもの。そなたが弱さを見せてこそ、相手も手を差し伸べる場所を持てるのじゃ」
あなたが完璧にもてなしてしまうから、家族は「してもらって当たり前」と思い込んでしまう。それは、あなたが強すぎたからこその、小さなすれ違いなのかもしれません。
無理をやめて、素直に頼ってみる
次の盆や正月は、少しだけ肩の力を抜いてみませんか。すべてを自分でやり遂げようとしなくていいのです。
今日からできる、小さな一歩
「今年は、料理を一品持ってきてくれると助かるな」。「買い物、車を出してもらえると嬉しいわ」。そんなふうに、素直に頼ってみてください。お年玉やお小遣いが厳しければそう伝えるのです。「気持ちだけの精一杯でごめんね」で良いのです。頼ることは、相手を信じている証です。そして人は、頼られてはじめて、相手を大切にする実感を持てるものです。
無理をして倒れてしまっては、元も子もありません。あなたが少し弱さを見せることは、家族に「支える喜び」を返してあげることでもあるのです。状況を知ってもらういい機会と考えてください。
あなたは、わがままな親ではありません
帰る日を数えてしまう自分を、どうか責めないでください。それは冷たい心ではなく、長年尽くし続けてきた人の、当たり前の疲れです。あなたは、これまで十分すぎるほど与えてきました。
これからは、頼ることを覚えていい。甘えることを、自分に許していい。あなたは、わがままな親ではありません。愛を受け取る番が、ようやく回ってきただけなのです。聖天様は、長い年月を家族に捧げてきたあなたを、あたたかく見守っておられます。
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