人間が使う言葉として「魔が差す」という言葉が御座います。
この「魔が差す」とは、何か失敗した時や、何か悪いことした時に、多く使われます。
要は自分の意ではなく悪魔の意であるという意味です。
これって本当でしょうか?
本当に自分の意を無視して、悪魔の意により、失敗したり悪いことしたりするのでしょうか?
そもそも「魔が差す」ということは、現実問題として実際にあるのでしょうか?
この世に生きる人間には、「魔が差す」ということが、現実とし実際に御座います。
もちろん言い訳として「魔が差す」という言葉を使う場合が多いかと存じますが、その中には実際に「魔が差した」ということもあるのです。
この「魔が差す」とは、簡単に言えば悪魔に憑依されるということです。
先程も申しました通り、自らの意により、間違った判断で失敗したり、自らの意により、悪いことをしてしまったりする場合が多いと思いますが、知らず識らずのうちに悪魔に憑依され、気が付けば・・・。という場合もあるかと存じます。
私ら聖夫婦も、テレビなど社会のニュースを日々見ますが、たまに犯罪者など『この人は魔が差してるよね!』『そうだね、間違いないね!』と、夫婦で確認し合うことが御座いますし、外出していても、すれ違う人の中に『今すれ違った人、魔が差してたよね!』『うん、差してたね!』と、夫婦で確認し合う時も御座います。
魔が差しているからといって、必ずしも何か失敗したり、必ずしも何か悪いことしたりするとは限らないのですが、やはり魔が差していることで、何か失敗する可能性や、何か悪いことしてしまう可能性は必然的に増えると言えます。
なぜなら、魔が差しているということは、人間の意で失敗したり、人間の意で悪いことするのではなく、あくまでも悪魔の意で失敗したり、悪魔の意で悪いことするわけですから、魔が差している人間が魔が差していない人間よりも、何か失敗したり何か悪いことする可能性が増えるのは必然と言えます。
但し、魔が差したからと言って、失敗が帳消しになることは無いですし、ましてや魔が差したからと言って、悪いことして許されることも御座いません。
魔が差そうが差さまいが、自分の失敗は自分で補うべきですし、自分の悪事や罪は自分で償うべきに御座います。
例え魔が差した失敗や悪事であっても自己責任に御座いますので、普段から魔が差さぬように心得る必要があるかと存じ、それが肝要であると存じます。
合掌
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