聖夫婦ブログ
聖天様に「聖天様どうか助けて下さい」と、救いを求めるも救ってくれない。
そう思っている人は多いようです。
確かに聖天様が振り向かぬ人間も存在しますが、聖天様が救いの手を差し伸べられるも、気付かぬは人間という場合も多くあると存じます。
ひどい場合は気付かぬどころか、知らずと聖天様の救いの手を拒否する人もいます。
昔こんなことがありました。
店舗経営している人から聖天様の御言葉を授かる占い鑑定の依頼を受けました。
お店の存続をかけた切実な鑑定でした。
聖天様から御言葉を授かる占い鑑定を利用する人の多くが、自ら望む言葉があります。
つまり、自分の望む結果を御言葉で欲しいのです。
しかし、聖天様の御言葉が、必ずしも望む御言葉とは限りません。
逆に望まぬ御言葉である場合が多いように存じます。
ただ多くの場合は、望み薄きことが多いが故に、望まぬ御言葉であることも必然かと存じます。
少し話が横道にそれましたが、占い鑑定の依頼を受けた人の話に戻します。
私は、ご依頼の通りに、聖天様に聞きました。
その御言葉は、質問者様の望みに叶わぬ御言葉でしたが、明らかに救いの御言葉でした。
いつも聖天様の御言葉は要点のみ短いのですが、救いの御言葉の最後に「素直にあらず逃す」という御言葉を授かりました。
私は最後の御言葉が気になりながらも、授かった救いの御言葉を正直に質問者様へ伝えました。
すると・・・
いきなり何かのスイッチが入ったが如く「これまでの私を否定される筋合いはない」と怒り出し、ストレス発散するが如く言いたい放題に救いの御言葉を否定したのです。
それからというもの、私のとご縁は切れましたが、聖天様とのご縁も切れたようで、お店は閉店したのか、違う経営者の店舗に変わっていました。
今回は分かりやすく占い鑑定を例に話しましたが、聖天様の救いの手は皆様に対しても差し伸べられていると存じます。
その手に気付き掴むか否か、結果は大きく変わります。
聖天様の救いの手を少しも疑わず、常に素直な心で功徳を積み一心不乱に聖天様を信仰すれば、聖天様から差し伸べられた救いの手に、必ずや気付くかと存じます。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。