聖天様を信仰し、聖天様に願う人の多くが、自分の力で叶わない願を、聖天様に願っていると思います。仮に、自分の力で叶う願なら、聖天様を信仰していない、という人も多くいるでしょう。しかし現実は、自分の力で叶わない願いだから、聖天様を信仰して、願っているのだと思います。
聖天様を信仰し願うも叶わないと、「いつ叶うのかな」「なぜ叶わないのかな」「何が悪いのかな」「どうしたら良いのかな」などなど、弱音を吐く人がいます。弱音を吐くことで願い叶うなら吐いて頂ければ良いのですが、弱音を吐いたところで願いは叶いませんし、逆に弱音を吐くことは、願い叶えるに逆効果だと言えます。
自分の力では願い叶わない。だからといって聖天様に願うも、思う時期に叶わず弱音を吐いてしまう。もはや八方塞がりにて願い叶い難しとなります。
願い叶わない人は「やった感」が強いように思えます。「あれやった」「これもやった」「何日もやった」「何回もやった」などなど、自らは「やった感」で満ち溢れているのです。これまでに自分が行ったことばかり過大評価し、これから更に何が出来るのかとは考えない人が多いようです。
聖天様に願う以外に方法があるなら、そのようにすれば良いと思います。しかしながら、自分の力では願い叶わないのであれば、弱音を吐いても願い叶わないのであれば、弱音など吐かずに聖天様のご利益を少しも疑わず、ただ一心不乱に願い続けるしかないと存じますし、そうすることで願いは叶うと存じまので、決して弱音など吐かず頑張って下さい。
合掌
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