多くの人が利用しているであろうウキペディアに、面白い都市伝説が掲載されていました。その面白い都市伝説とは、見出しを「俗信・迷信」とし、本文は「聖天が午前中に参拝した人の願いを叶えるために、午前中に参拝した人々の所を廻っているため、午後に参拝すると寺院に聖天がいないという。」と書かれています。
聖天様は午前中しか寺院に居ない?午後は願い叶えに出かける?これ、なかなか面白い都市伝説(俗信・迷信)でありますw
誰が何を根拠に書いたのか存じませぬが、これが本当なら午後に寺院へ参拝しても、そこに聖天様はおらず、いくら願えど無駄であり叶わないということになります。また、これが本当なら、午後は事実上の開店休業であり、聖天様の寺院は午前中のみ門を開け、午後は締めていると存じます。
そう言えば「聖天様は午前中しか寺院に居ないのですか?」という無料相談を、何度か受けた記憶がありますが、「あの時の人々は、このウキペディアを見たんだな」と、理解できました。
先ずはハッキリと申しますが、聖天様は24時間365日、常に寺院にいらっしゃいます。といいますか、聖天様は常に何処にでもいらっしゃいます。皆様が一心不乱に聖天様の御真言を唱えれば、そこに聖天様はいらっしゃるのです。つまり、午後の寺院にも間違いなくいらっしゃるので、皆様は安心して参拝して下さい。
次に最も面白いのは「参拝した人々の所を廻っている」という考えです。そもそも聖天様は神様であるにも関わらず、「参拝した人々の所を廻っている」という人間的な考えが面白いですw
聖天様は願い叶える為に、わざわざ人間のところを回ったりしません。といいますか、先程も言いました通り、聖天様は常に何処にでもいらっしゃいます。寺院にいらっしゃると同時に、皆様の所にもいらしゃるのです。
このウキペディアの情報は正しく、正に都市伝説(俗信・迷信)と言えます。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。
宝山寺の拝礼講習会等、午後からなのに…。
変な都市伝説ですね(^^;
まったくですねw
合掌
午後は、不在と言う伝説の元に成った事柄は、僧侶の戒律が一人歩きした事が要因かと思われます。
其の規範とは、規範に厳格な上座部仏教を参考に致しますが、基本僧侶の食事は、一日二回とされ夜明けと共に托鉢を行い食事は、朝と昼の二回とし午後は、食事等をしない規範が有る為、大乗仏教に於いても同様に御給仕や御供物の差し替え等は、虎の刻の華水供に始まり正午迄に御給仕を終える事が望ましいとされます。
其の午前の部分が一人歩きしての事かと思われますし午後は、基本瞑想や布教等の時間とされる事も各家を廻る背景かと思われます。
実際問題聖天様に限らず神や仏様に人間の時間の概念を当てはめるのは、おかしいかもしれませんが本来は、貴方様の言う通り常々傍に居られ見守って下さるのですがね。
天祥 九拝
〔追白〕一応、内容を纏めさせて戴くと午後不在の都市伝説の理由は、一、規範に従い御給仕を午前中に済ませる事が発端 二、一日二食の規範を元に考えると午後の御供物は、聖天様は、召し上がらない為、正午迄に御供や参拝をすべきと言う解釈が生まれる三、民間信仰(逢魔が時等)や一部神道の思想(屋敷神等)から午後は、各家を廻ると言う都市伝説に変化したと考えられます。
本筋を申せば先の通り神仏は、常々傍に居られますし其のご縁に従っての事ですし尊像に現れるが如く其の願に従い遍く全てを御覧かと思います。
瑞鳳天祥 九拝
貴重なコメントを頂きまして、誠に有難う御座います。
>僧侶の戒律が一人歩きした事が要因かと思われます。
まったくその通りに存じます。
有り難き説法に心から感謝し御礼を申し上げます。
これからも宜しくお願い申し上げます。
聖夫婦 九拝