聖天様(歓喜天)に祈願すれば「どんな願いも叶えてくれる神様」として、その力が偉大であることは有名です。
更に、祈願する我々人間にとっては非常に有り難く嬉しいことなのですが、聖天様(歓喜天)には、他の神様や仏様と少し異なる点が御座います。
例えば、「お腹が空いて泣いている子供」が居るとします。
普通の神様や仏様のイメージでは、お腹を空かせて泣いている子供に対して「泣いたら駄目だよ」と諭しますが、聖天様(歓喜天)の場合は、お腹を空かせて泣いている子供に対して、先に食べ物を与えて満腹にさせてから「泣いたら駄目だよ」と諭してくれる神様なのです。
欲望
人間には「欲望」というものがあります。
これを煩悩とも言いますが、煩悩については別の機会に書くとして、今日はわかりやすく欲望という言葉を使いたいと思います。
仏教では一般的に欲望(煩悩)を捨てなさいとか、断ちなさいと説くようですが、聖天様(歓喜天)に限っては欲望を捨てろとか断てなどと言いません。
聖天様(歓喜天)は「人間に欲望は付き物」「欲望があるから人間」と言うように理解して頂いているのか、聖天様(歓喜天)は人間の欲望も祈願すれば叶えて下さります。
どんな願いも叶えてくれる神様だと言われる事自体が、聖天様(歓喜天)は祈願する人間の欲望を満たしてくれる神様だと言う証です。
とは言えど、不老不死になりたいとか、透明人間になりたいとか、悪しき祈願はしないように気をつけましょう。
あと、何も努力しないで楽して金儲けがしたいとか、明らかに非常識な、聖天様(歓喜天)を侮辱するような祈願も駄目です。
そもそも聖天様(歓喜天)に祈願する時は、粉骨砕身99%の努力をすること大前提であり、その努力があってこそ聖天様(歓喜天)が最後の1%と言う奇跡を起こして下さるのです。
聖天様(歓喜天)は全てお見通しです。
祈願者が如何なる努力をしているのか、祈願者が如何なる祈願をしているのか、行動のみならず心の中も全てお見通しです。
上辺だけの祈願をしても、聖天様(歓喜天)には全てお見通しであり、決して叶えてくれません。
祈願成就の為に全力で努力すること必須ですが、聖天様(歓喜天)に祈願するも、全身全霊で聖天様(歓喜天)を信じ、聖天様(歓喜天)に縋り、聖天様(歓喜天)を信仰することで、聖天様(歓喜天)は望みを叶えて下さるのです。
聖天様(歓喜天)に祈願する時は、正に「人事を尽くして天命を待つ」(人間の能力で出来る限りのことをして、あとは焦らず結果を天の意思に任せる)の精神が必要です。
全身全霊で聖天様(歓喜天)を信じ、聖天様(歓喜天)に救いを求め、聖天様(歓喜天)に祈願し信仰することで、全ての結果は聖天様(歓喜天)にお預けすることです。
合掌
執筆者:パパ
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