お詣りは、ご利益を少しも疑わず、純真な心持で一心不乱にお祈りすること。
これは聖天信仰の心得十二条の中の其の四です。
ここでは、簡単そうで難しいことが説かれて御座います。
少しも疑わず
多くの聖天信仰者様が「聖天様(歓喜天)ご利益に疑いなどありません、信じています。」と言うのですが、厳密に言うと「聖天様(歓喜天)ご利益を疑わないように、信じるように」努力している人が多いです。
その多くの根拠は「不安」です。
少なくとも「願い叶うのか否か不安になる」という人は、「聖天様(歓喜天)ご利益を疑わないように、信じるように」努力している人達です。
本当に聖天様(歓喜天)ご利益に少しの疑いも無いならば、願い叶うか否かという不安すら無いからです。
だから、この聖天様(歓喜天)ご利益を少しも疑わずというのは難しいのです。
しかしながら、聖天様(歓喜天)との御縁を深めることで、いつか必ず不安が消え、聖天様(歓喜天)ご利益を少しも疑わない自分になれるかと存じます。
一心不乱
一心不乱とは「心一つ、他に気を取られない」という意味です。
もっと簡単に言えば「一途」という意味です。
ところが、先の聖天様(歓喜天)ご利益に不安が生じると、あっちの神社こっちおの寺院、あっちの神様、こっちの仏様、という風に祈願しだします。
それがエスカレートすると、家の中に「お守だらけ」「お札だらけ」という結果になるのです。
念の為に言っておきますが、お守・お札は多ければ良いというものではなく、逆に悪くなる場合が多いです。
そもそも聖天様(歓喜天)は別格の神様です。
聖天様(歓喜天)を、一心不乱に信仰すれば、他の諸仏諸神様にも通じます。
あっちも、こっちも祈願は、願い叶わぬ典型です。
聖天様(歓喜天)に願い、叶えてたいなら、聖天様(歓喜天)を「一心不乱」に信仰し祈願されて下さい。
合掌
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