僧侶様の法話
さて、本日は、四諦の法輪に付いて講釈致したいと思いますが本題の前に有るサラリーマンの会話から始めたいと思います。
サラリーマンA
「いや~〇〇の案件の処理で四苦八苦したよ~」
サラリーマンB
「其は、大変だったね~所で其の四苦八苦の四つと八つの苦しみって何?」
サラリーマンA
「・・・・・・・。」
と申します通り【四苦八苦】の慣用句自体は、頻繁に使われますが其の意味としては、曖昧で兎に角、大変だったと謂う意味で使われますが此の四苦八苦とは、仏教用語で御座いまして御釈迦樣が説かれました【四諦の法輪】に関係が御座います。
四諦の法輪とは、仏教の根幹に当たる思想で御座いまして【苦、集、滅、道】の四つのカテゴリーと成り般若心経の一説でも説かれて居る内容で御座います。
尚、【諦】の文字は、【諦め(断念する)】では、無く【明らめ(明らかにする、詳らかにする)や諦る(さとる)→覚め悟る】の意味で御座います。
カテゴリー別に詳しく説明致しますと
弌、【苦諦】《苦しみの現象》
人生に於いて経験する
【生・病・老・死】四つの苦しみに加え更に四つの苦しみ
【愛別離苦】(あいべつりく)《愛する人や親しい人との別れの苦しみ》
怨憎会苦・(おんぞうえく)《苦手な人や好ましく無い人と接したり出逢う苦しみ》
求不得苦・(ぐふとくく)
《欲しいものが得られ無い思い通りに成らない苦しみ》
五陰盛苦・(ごおんじょうく)《五感全てに於いて煩悩故に心が定まらず常に悩みや怖れる苦しみ》
上記、初めの四つの苦しみと後者四つの苦しみが重なり計八つの苦しみと成り日々【四苦八苦】と成ります。
謂わば人生とは、始まりより終り迄苦しみの連続だと説かれて居ります。
弐、【集諦】《苦しみの原因》
此処での《集》とは、【集起】の略で所謂、因果律の【因】で御座いまして人生の苦しみも必ず原因(縁起)が有り故に其の原因を反省し取り除く事で離れる事が出来ると説きます。
其の原因とは、法華経譬喩品第三に【諸苦の所因は、貪欲(とんよく)是(これ)本(もと)也】と説かれ則ち【渇愛】喉が渇いた者が激しく水を求める様に凡夫が諸々の欲望の満足の為に際限無く求める心や行動が原因と説かれ其の詳細として【十二因縁】として説戒が為されて居ります。
三、【滅諦】《苦しみの本質》
上記の事から全ての苦しみの現象の本質は、【心の動きや作用】が起因して居り煩悩や苦しみ全て【心】を御(ぎょ)し【安心(あんじん)】を得る事で離れる事が出来、彼岸《悟りの世界》に到る事が出来ると説きます。
四、【道諦】《苦しみから逃れる為の方法》
其の解決方法として説かれた内容が以前お話致しました【八正道】で御座いまして此の八正道を基本とした生活並びに【六波羅密】を実行する事で四苦八苦の原因で有る【心】を安心に導く道と説かれ此の教えが根本と説かれて居り佛道を求める人の指針と成って居ります。
以前お話致しました通り仏教とは、【心の哲学】で御座いまして心の動きを御す事に始まりより良く生きる為の智恵の教えが仏教に御座いまして付随する象で徳を積む象で祖霊信仰(回向や法要)等が御座いますが上記の事柄から言える事は、仏教とは、祖霊信仰も然る事ながら自身の成長の為の教えでも御座います。
天祥 九拝
執筆者:瑞鳳天祥
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