執筆者:瑞鳳天祥
今日は、仏教思想の一つ中道に付いて講釈して見ましょうφ(..)
中道とは、要するに偏らない事を意味しますが即ち何事も程々が肝要と仰って居られます。
仏教に於いて意外と勘違いされ易いのは、禁欲主義、欲=全て悪と捉えがちですが其れは、あくまでも教えを表面的に解釈して居るに過ぎません
確かにお釈迦樣は、人の欲(煩悩)を苦の種と説き善く是を離れよと説いて居りますが決して否定して居る訳では、無く「此の五つのもの(感覚、感情、思考、意欲、意識)を心地好く好ましく感ずる事で有る」と締め括って居ます。
所謂、自身の心と上手に付き合う事が安穏への第一歩と申されて居ります。
又、涅槃に至る直前の旅支度に於いても「喩え明日、竃にくべられる薪で有っても全ての営みは、美しい」とも謂われて居ります。
では、お釈迦樣は、何を以て欲を戒め欲を離れよと教えたのでしょうか?
因みに俗に申します戒律は、戒と律が御座いまして些か性格が違い【戒】は、「○○しては、成らない」と申します禁忌では、無く「○○しない方が良い」と申します道徳的指導で御座いまして律は、厳格な禁忌で御座います。
故に戒には、罰則は、御座いませんが律には、厳格な罰則が有り其の禁則を破りますと最悪破門の処置が御座います。
お話を戻しますがお釈迦様の説かれた戒は、過度の欲望に因る心の執着を戒め其の執着から生まれる苦しみより離れよと説かれた訳で御座います。
生けとし生けるもの全てに於いて生まれながらにして本能と謂うべく欲望が備わって居ます。
例えば人は、食、睡眠、色(性)、財、名誉の五つに分類出来ますが差して分類に意味は、有りませんが好ましく無いのは、其の欲望に過度に執着する心が問題と為ります。
即ち其の欲望に過度に執着する事で迷いが生まれ得られぬ苦しみが生まれる訳です。
是を【不求不得苦】と申しまして四苦八苦の一つで御座います。
例えば上記の欲を一切合切否定したらどう為るでしょうか?
例えば色欲(性欲)も悪として完全否定すれば種の保存に影響を及ぼし人類は、滅びますね
睡眠も心と体の健康の為には、不可欠ですし財や名譽も発展向上には、必要な事ですがそれらに執着し拘る事で欲望は、増大し悪影響を及ぼします。
要するに必要以上を求め快楽に浸る事無く程良く味わいなさいと戒めて居る訳です。
藥もそうですが適量ならば病を癒し健康を保ちますが過度に摂取すれば毒と為り命の危険を及ぼします。
即ち欲も適量ならば樣々な効能を発し人間の発展に貢献しますが過度と成れば樣々な執着を発し苦しみに発展する訳です。
故に欲に囚われず適度を知り御互いに施し調和を取る事が肝要なのです。
其の教えの根幹が中道で有りますし欲と巧く付き合い心の静寂をもたらす為の教えと為ります。
謂わば善も悪も執着し偏り過ぎれば害を及ぼし苦しみと為ります。
喩えば如何に正論で有っても偏れば極論と成り
信仰も偏れば盲信と成ります。
世の常で御座いますが世の中は、平等と謂う名の不平等が正義、正論と謂う名の元の矛盾が多々御座います。
則ち如何に正論、平等の名を唱えても偏れば必ず弊害を伴いますが中道を極めれれば善悪を論ずる必要も無く成る訳で御座います。
是が以前お話した空の境地と為りニーチェが提唱した「大いなる正午」とも酷似した内容と為ります。
般若心経の一節を引用致しますが「色即是空 空即是色受想行識 亦復如是…。」
直訳致しますと【是くの如く心が受ける影響即ち意識、想い、行い、目に見える総ての現象(色)は、総て空で有り執着の対象では、無いしかし心の動きに応じて此の空の存在も見え方が変わって見える其の本質は、汝の心に他成らない…。】
即ちお釈迦樣が説かれた事は、全ての否定では、無く肉体に連動する心を如何にコントロールし有りのままを観るかが重要で在って極端に走り過ぎない偏りの無い心と体を保つ事が肝要と説かれた訳です。
只、何かに囚われたり拘る事は、人で有り此の物質世界に生きる以上、避けられ無い事実で其の矛盾を感じる事も御座います。
其れは、有る意味生きて行く上で必要な事かも知れません
しかし過度に執着し偏れば苦しみや争いを生み本当の物事や本質を見失います。
即ち全ては、心が思い込みや我見に支配されて居ると謂う事です。是を自縄自縛と申します。
強いて謂えば自分の価値観を絶対として他者に押し付けようとする人が居ます。
しかし人は、環境も違えば価値観も尺度も違います。故に押し付けられれば偏りが起き反発を起こし怒りや焦燥、苦しみが拡がります。
即ち人は、我見妄執に囚われ比較し平等と謂う名の不平等の矛盾の世界で更成る妄執を生み苦しみながら生きて居ます。
しかしそれは、心の造り出した思い込みや我見に過ぎないかりそめの幻想に過ぎないのです。
全ての根本が心で有り心が造り出した思い込みや幻想に過ぎない事を知れば極端な欲も生じ無ければ執着する必要も無く偏る必要も無く成る訳です。
即ち肝要な事は、心の動きを知りコントロールする事で何時でも苦しみから離れる事が出来る訳で御座います。
天祥 九拝
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