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無常観といろは歌

夜桜(瑞鳳天祥様)
この記事は約4分で読めます。

執筆者:瑞鳳天祥

今日は、先日のお話に関係致します「いろは歌」を元にお話を致して見たいと存じます。尚、先日の内容と重複する部分が御座いますがお浚いとして戴ければ幸いです。

さて、いろは歌は、皆様、御存知と存じますが其の中に樣々な意味が含まれて居ります事は、有名で御座いますが今回は、暗号云々は、別の機会と致しまして其の言葉を通して説かれて居ります内容をお話しましょう

では、その意味を紐解いて参ります。

先ずは、注釈を含めて全文を紹介しますとφ(..)

色は匂えど散りぬるを

(諸行無常)

我が世成れど常ならむ

(是生滅法)

有為の奥山今日越えて

(生滅滅已)

浅き夢見じ酔いもせず

(寂滅為樂)

と成りますがこれだけでは、何の事やら皆目不明で御座います。では、詳しくお話すると

「色は匂えど」とは、

「色」=目に見える物と成り執着や拘りの原因と成る物質世界の総てで御座います。

「散りぬるを」

【諸行無常】一つの意味としては、変壊(へんね)と申しまして要するに総ての物体や価値観等は、時間と共に変化し又、物質は、壊れ変化し其の象を保つ事は、難しいと申します。

「我が世なれど常ならむ」

此れは、此の世の道理で有ります【是生滅法】是(これ)即ち誕生しては、消えて往く生死の法(教え)と為すと解釈致します。

「有為の奥山今日越えて」

【有為】とは、迷いの世界を意味して居りまして要するに現世に於ける迷いの世界を今(此の瞬間)越えて【無為】即ち悟りの世界【彼岸】へと入る事が出来るとされる刹那、謂わば終焉の刻で御座います。

此れは【生滅滅已】謂わば人生の終焉を迎え生滅の法さえ滅し已った(おわった)則ち色身(肉体)を離れ純粋な魂の状態に還り次の世界を目指します。

「浅き夢見じ酔いもせず」

現世とは、浮世と申します様に華やか不夜城の様で御座いますが人の一生は、実に儚くまるで泡沫の見る春の夢にも似たもので酔う事すら無い一瞬のもので御座います。

本来目指すは、現世に対する執着も拘りも無い静寂の境地に至る【寂滅為樂】で御座いまして色身を離れたこの上は、寂滅(涅槃)と心得て樂と為すが善いと申して居ります。

この内容(雪山偈)は、地域性は、御座いますが葬送時に枕経や納棺の際に唱えられ

納棺の浄衣への着替えの場合は、雪山偈お唱えする毎に磬子(けいす)を一打しながら納棺が終るまで繰返しお唱え致します。(磬子を梵鐘に見立てて打ちますが梵鐘の音は、佛様の聲と喩えられて居ります。)

此れは、亡き人への導きと遺された人への慰めと成りますがその他に人生の教訓、即ち(空の教え)が含まれて居ります。

要するに【空】とは、囚われ拘り執着を離れる事即ち心の平安(安心)を示す言葉で御座います。

云わば禅の根本的な教えの【一円相】謂わば、空の教えや【行雲流水】の精神を説いて居ります。

この事から御理解戴けます様に日本文化の根底には、仏教思想が深く関わって居りますし此の教えから解るように心の平安は、【空】の中に一つの答えが有るので御座います。

さて、先の内容を踏まえ無常観は、日本文化の根底に有る考えで御座いまして学校の授業で平家物語やいろは歌を教わったと思います。

其の内容には、【無常観】とは、別に【厭世観】が含まれて居りますが授業では、無常観として指導されて居りまして些か誤解も多いのが現状で御座います。

では、無常観とは、何でしょうか?

無常観とは、則ち諸行無常世の理の一つで要するに刻は、常に流れ往き止まる事無く形有る物は、時と共に変化し本質は、空で有ると説きます。

其の理を説かれた経巻が皆様、御存知の大般若経の集約経、般若心経と成ります。

さて話を戻しますよ

今の内容だけでは、無常観の触りだけで本質では、御座いません。

触りの内容だけで世は、儚く虚しいだけだと嘆くだけでは、厭世観と成り場合に因っては、無関心に繋がり無明のままで終わってしまいますね

無常観の本質は、変化、枯れ、侘び、寂びの美を楽しみその中の刹那を大切にして囚われず、卑下せず、奢らず有りの侭を受け入れるもより良く生きる為の努力をする。

要するに行雲流水の心に繋るので御座います。

確かに世の中や人の心は、移ろい易いものですが

決して意味が無いものでは、無いので御座います。

草木を見ると解り易いかと存じますが一つの種から春には、美しい華を付け夏には、若葉を秋には、実りを与え冬には、役目を終えて土へと還り新しい命を育む大地となります。

其れは、誰かに見て欲しい等と言った事は、無く只野に咲き実を結び刻の流れに従い軈て朽ちて参ります。

人の一生も同様の事が謂えるかと存じますし更に付け加えるならば草花に各々の季節が有るように人それぞれに輝く時期が必ず御座います。

しかし厭世感に囚われ日々を悲観していては、その時期を見逃す場合が御座います。

よく【幸運の女神は、後ろ髪は、無い】と申しまして総ては、御縁で御座いますから其の縁を逃すと次が有るかと申せば全くの未知数で御座います。

故に幸運の女神は、後ろ髪が無いから後ろ髪を引かれる事無く其の一瞬の囁きのみがチャンスと成りその囁きは、刹那を大切に出来なければ聞く事は、難しいのです。

人は、それぞれに価値が有り又、輝ける存在ですから先を悲観する事無く日々是好日として刹那を丁寧に日々精進を重ねたいもので御座います。

天祥 九拝

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