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日本の歳時記[七夕]

花火(瑞鳳天祥様)
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読者投稿:瑞鳳天祥様

さて先日は、新暦の上では、七夕で御座いましたが今日は、歳時記として七夕の由来に付いてお話して見ましょうφ(..)

七夕の由来は、彼の有名な天帝の娘の織姫と牛飼いの彦星の切ないお話が有名で御座います。

要するに七夕は、この二人の逢瀬を祝い、織姫にあやかって機織りの技が上手くなるように、ひいては手芸や手習いの上達を願って、巧みに成る様に乞う祭り(奠)と言う意味の「乞巧奠(きっこうでん)」が元々の行事で江戸時代辺りからお願い事を短冊に書いて飾る行事に変わった樣で御座います。

さて織姫と彦星の話から乞巧奠に発展した事は、御理解戴けたと思いますが

では、七夕を何故、「たなばた」と呼ぶのでしょうか?

日本では七夕は、【旧暦七月七日頃(現在の8月初め頃)】稲の開花期にあたり、水害や病害等が心配な時期で御座います。

また、盂蘭盆(お盆)(旧暦の七月十五日)の仕度時期と為ります。

そこで、作物収穫の無事を祈り、棚機女(たなばたつめ)という巫女が水辺の棚の上に設けられた機屋で棚機(たなばた)と呼ばれる機織り機を使って祖霊に捧げる衣を織りあげ、それを祀って神の降臨【田の神】を待つという禊(みそぎ)の神事を行って居りました。

棚には神聖なものを一段上げるという意味が御座います。

やがてこの行事と乞巧奠が交じり合い、現在のような形に成って定着し、元々七月七日の夕方を表して七夕(しちせき)と呼ばれていたものが、棚機(たなばた)に因み七夕(たなばた)という読み方に変わっていったので御座います。

又、七月を文月と呼ぶのは、短冊に和歌や詩歌を書く行事に因む「文披月→ふみひらづき」が語源とされ又盂蘭盆が有る事から「親月」とも謂われて居ります。

現在は、短冊に書く願いや詩歌は、本来は、梶の葉に書くのが正式で御座います。

正式な所作としては、里芋の葉に溜まった夜露を集めて墨をすり、その墨で梶の葉に文字を綴って手習い事の上達を願います。

里芋の葉は神から授かった天の水(甘露)を受ける傘の役目をしていたと考えられて居る為、其の水で墨をすると文字も上達すると謂われて居ますし其の事から盂蘭盆の供物皿を蓮の葉では、無く里芋の葉を用いる地方も御座います。

因みに、笹に短冊を飾る樣に成ったのは、先程、お話した通り江戸時代に成ってからの事で御座います。

昔は梶の葉に和歌を認めて祀って居ました。梶の葉の裏側は細くて滑らかな毛が沢山生えて居る為、墨が乗り、紙の原料としても使われて居りました。

現在も、宮中行事を伝承する京都の冷泉家では、古式ゆかしい七夕の歌会や乞巧奠が取り行われて居り、梶の葉が重要な役割を果たして居ります。

因みに七夕の雨を【酒涙雨←さいるいう 】と呼ぶそうで今宵の逢瀬に備え、彦星は自慢の牛車を天の川でせっせと洗い、磨きをかけるそうで其の水飛沫が雨と成って…と謂う事で洗車雨とも申します。

故に七夕の日の雨は、もしかすると些か牛の香りがするのかも知れませんね。

因みに翌日の雨は、二人の逢瀬の喜びの涙が雨に成ったもの若しくは、逢瀬の後に流した惜別の涙とも謂われますしノルマが達成出来ず逢瀬に間に合わず流す悲しみの涙とも謂われて居ります。

七夕の由来には、織姫と彦星の恋物語だけでは、無く手技(機織・手芸・習字など)の上達や豊作の祈りが織り込まれて居ます。時に其の樣な話に思いを馳せながら七夕を過ごすのもまた風流なものですし新暦では、中々見れない星空も旧暦では、見れる場合が多く御座います。

ですから日頃忙しいと申される方も時には、夜空を見上げて見られるのも宜しいかと存じます。

天祥 九拝

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