聖天様(歓喜天)は神様
聖天様(歓喜天)は神様です。
神様は、人間が努力精進を怠らず、最期まで信じれば、必ず助けて下さいます。
聖天様(歓喜天)は、人間が努力精進を怠らず、最期まで信じれば、必ず助けて下さいます。
ところが浅はかな人間は、努力精進を怠ります。
神様は、常に努力精進する人間に対し、救いの手を差し伸べて下さるのです。
聖天様(歓喜天)は、常に努力精進する人間に対し、救いの手を差し伸べて下さるのです。
自ら何ら努力精進せず「あれ叶えて欲しい、これ叶えて欲しい」と願っても、神様である聖天様(歓喜天)は手を差し伸べて下さいません。
また、自分なりに努力精進しても、願い叶わぬと「これが聖天様(歓喜天)の思し召しか」などと考え、その先にある救いの手に気付きません。
せっかく救いの手を差し伸べて助けて下さる聖天様(歓喜天)がいらっしゃるにも関わらず、まるで聖天様(歓喜天)から手を掴んで下さいと言うが如く、自ら聖天様(歓喜天)の救いの手を掴む為の努力精進をしません。
また、自ら努力精進するも、聖天様(歓喜天)が救いの手を差し伸べて下さらないと勝手に思い込み諦めてしまうので、その先にある聖天様(歓喜天)の救いの手に気付きません。
これ浅はかな人間と言えます。
最後にもう一度だけ記します。
聖天様(歓喜天)は神様です。
神様は、人間が努力精進し最期まで信じることで、必ず助けて下さる存在で御座います。
聖天様(歓喜天)は、人間が努力精進し最期まで信じることで、必ず助けて下さる存在で御座います。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。
聖パパ様、いつもありがとうございます。申し訳無いのですが
、下記の
また、自ら努力精進するも、聖天様が救いの手を差し伸べて下さらないと、その先にある聖天様の救いの手に気付きません。
の、文章を読み「聖天様から手を差し伸べて頂かない限り、その手に気付かないと思うのですが?」と疑問に思ったのですが、何度か読み返すうちに、
自ら努力精進するも、聖天様が救いの手を差し伸べて下さらないと
(思う者は)その先にある聖天様の救いの手に気付きません。
との、意味におもえて来ました。どちらの解釈が正しいのでしょうか?又は、別の解釈が有るのでしょうか?
いつも有難う御座います。
言葉足らずで分かりにくく申し訳ございませんでした。
ご指摘の箇所は「自ら努力精進するも、聖天様(歓喜天)が救いの手を差し伸べて下さらないと勝手に思い込み諦めてしまうので、その先にある聖天様(歓喜天)の救いの手に気付きません。」に変えました。
また何か御座いましたら教えて下さいね!^^
合掌
聖パパ様、私の足りない読解力の為にありがとうございます(^^)これからもよろしくお願い致します(^^)
また何か御座いましたら教えて下さいね!^^
合掌