中国には「苦言は薬なり甘言は疾なり」という言葉が御座います。
これを端的に言えば「忠言を聞くと気分悪いが薬となり、甘言を聞くと気分良いが病となる」というような意味です。
これを神仏様と悪魔に当てはめたら「神仏の言葉は薬となり、悪魔の言葉は病となる」となります。
神仏様の御言葉に従うことで薬となり、悪魔の言葉に従うことで病となること、誰もが理解できることに存じますが、これは神仏様や悪魔に限った話では御座いません。
人間関係でも同じことが言えます。
例えば友人でも知人でも同じです。
一見は口煩く感じるも薬となる相手がいれば、一見は優しく感じるも病となる相手がいます。
良薬は口に苦しが如く、自分のためになるような忠言は素直に聞きづらいと拒否すれば、やがて縁が切れ薬を失います。
神仏様と悪魔の良し悪しは、誰が見ても理解できることに御座いますが、相手が人間ともなれば見極めるのが難しいです。
ただ単に「厳しいから」とか「優しいから」とか、目に見える耳に聞こえることだけで、その良し悪しを安易に判断しては、いつか後悔することになるかも知れません。
甘い言葉は誰にでも言えます。
しかし厳しい言葉は相手のことを本当に大切だと思う人間にしか言えないものです。
子供が危ない遊びをしていたとした時に厳しい言葉で注意するのは親に御座います。
これ世の常であり人の常に御座います。
合掌
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