聖パパ様
新年おめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
本日1/7は、待乳山聖天様のご法要(大般若講)と「大根まつり」でした。
2000食限定で縁起物の風呂吹き大根が振る舞われる日、と言ったら少々俗でしょうか(汗)。
ともあれ昨年ご縁を頂いた私にとって初めての大根まつりの日。
必ず詣でようと前々より考えておりました。
…しかし何としたことか、このような大事な日に限って、私は寝坊をしてしまったのです(汗)。
予定の起床時刻より2時間!。
あぁ何としたことか!
しかし嘆いていても仕方ない、ともかく急ごうと、浅草に向かったのでした。
交通は極めてスムーズで、むしろ気持ち悪いくらいでした。
待乳山聖天様への到着は午前11時半頃。充分に遅刻です…。
それにしても想像以上に人が多い。
どうやらお正月のTV番組で紹介されたらしく、例年とは比較にならないくらい人が多いらしいと、傍にいらっしゃった参拝客様の会話から聞き取れました。
聖天様はTVで見てちょっと来てみよう程度の興味本位で拝みに来る神様ではないのに…(そんな思い自体驕りです(汗))
そんなことを思いつつ、溢れかえる人の波に流されながら、それでもご本堂へ上がり、略式ながら一通りのお勤めをさせて頂きました。
いつもは山と積まれた経机もなく、また列の整理がされていたこともあってろくなお清めも出来ずお大根の御供も出来ず塗香も使えず…と、不本意極まりない状態でしたが、ともかくも出来る限りのお勤めを終え、ご本堂を出ますと…丁度私の直前でしょうか、風呂吹き大根の整理券が配り切れてしまっておりました…。
残念、「不心得者のお前にはやれない」これが聖天様のメッセージなのかな…と思っておりますと、「風呂吹き大根は余分に用意していますので、整理券がなくても並んでみて下さい」とのアナウンスのお声が。
一応念のため、と隣の公園まで続く列の最後尾に向かい、行列の整理をしているおじさんにその事を尋ねると、「もしなくなったらごめんなさいですが、とりあえず並んでみて下さい」とのお言葉。
そのお言葉により、列に並んでみました。
最悪、途中で振る舞われている御神酒が頂ければそれで良しかと思い。
そして、かなりの時間を並び、途中で御神酒を頂き、さてどうかと、配布所まで辿り着きますと…「整理券がない人は駄目です」という、ある意味当然のお言葉が。
事情を説明するも、やはり駄目の一点張り(当然です)。
あぁ、やっぱりかとその場を去ろうとした時、悶着が起こりました。
私の少し後ろに並んでいたおじさん達が「案内されたから延々と並んできたのに話が違う、俺らの後ろは皆整理券など無しにそうして並んでいる」と怒号を揚げ始めたのです。
そして、ご住職が仲介に入られる事態にまでなってしまいました。
彼らも私と同じ案内を受けて並んでいた様子。
私は、彼らのお気持ちはわかるけれども「あぁ、歓喜の神様の御前で怒号とは…」と思いつつ、その顛末がどうなるかが気になって、ついつい間近で見ておりました。
そして…私(そして彼ら)と同じ案内を受けた人はいるか?との問いに、思わず手を挙げてしまったのです(汗)。
そして、ご住職のお取り成しで、整理券なしで風呂吹き大根を手にすることになってしまったのです。
私はここで辞退しておくべきでした。
御神酒で満足しておくべきだったのです。
しかし流されるように受け取ってしまいました。
何とも罰当たりなことです。
せめてもの償いと、速やかにご指示に従い場を移動して、何故か手にある風呂吹き大根を食したのですが…その味はどことなくほろ苦い気がしました。
これを食していいのか、いいはずがない。そう思いながら…。
もはや心願成就の祈願などどうでも良いとばかりに、お堂の周りを巡り、ひたすら懺悔しました。
そして帰宅後も、そして夕のお勤めでも丁重に懺悔申し上げました。
そして、その最中、私は気付きました。
これが本当の聖天様のメッセージであったことを。
私は、なかなか叶わない、きっかけすら見当たらない心願について、日々聖天様にお尋ね申し上げていたのです。
この心願、叶わぬ理由は何かと。
時期ではないのか、それともそもそもお叶えにならないのか、お教え願えないか、と。
そのお答えがこれだと気付いたのです。
「お前は功徳が足りぬ、ゆえに叶わぬ。」
戦慄しました。
聖天様の聖域にて、直接にお言葉を賜っていたという事に。
交通が異様にスムーズだったのも、このためだったのかも知れません。
本日の一連の所行、間違いなく私がいかに功徳が足りぬかの実地での証明です。
待乳山聖天様側の連絡不行き届きと言ってしまえば簡単です。
実際にそういう側面はあったかと存じます。
しかし、一連の出来事に流されてしまった自分、信仰心に基づいた確固たる思いを未だ持ち合わせておらぬ自分、何より、この大事な日に遅刻した自分。
心願叶わないのも当然でございます。
帰路も、「これじゃ叶うはずがないな、その資格がないな」と、うなだれておりました。
今回、いわば私の「大いなる恥」とも言えることを敢えて記したのは、皆様におかれましては、私の轍をどうかお踏みになりませぬようにとの思いからでございます。
写真も幾枚か撮影しましたが、これは残しておくべきではないと、帰路で消去しております。
来年こそは、胸を張ってお大根を頂きたい。そうでなければならぬ。
その思いで一杯です。
いつまでもうなだれているのは聖天様の意にそぐわない。
可能な限り歓喜の心を持って日々を送らなければならない、そう思うのです。
聖パパ様、皆様におかれましては、どうぞ良き一年を。
そう思わずにはいられない「ほろ苦い」待乳山聖天様への初詣でございました。
長々と失礼致しました。
読者投稿:にゃん様
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