聖天様は人を選ぶ神様です。つまり人を選ぶということは好き嫌いが明確であるとも言えます。だからこそ、聖天様に選ばれた、聖天様に好かれた人間は、厚くご守護して下さるのです。
一方で、聖天様から御縁を授かれぬ人間は、嫌われているとまでは言いませんが、聖天様を信仰しようと思っても出来ませんし、なんちゃって信仰となります。また聖天様に嫌われる人間は、聖天様に徹底的に排除されます。
聖天様の好き嫌い例
聖天様に好かれぬ人間
昔から「口だけ番長」という言葉が御座いますが、「口だけ聖天信仰」の人間は、聖天様に選ばれません。口だけ聖天信仰の人間とは「口と腹が違う人間」を指します。そもそも聖天信仰する気は無いのに、腹の中は「願い叶ったら終わり」という意識なのに、いくら口先だけで「一生聖天様を信仰します」と言っても、聖天様は全てお見通しです。
また、自らの顕在意識(自分が知る意識)では「正しく聖天信仰するぞ」と思っていても、潜在意識(自分が知らぬ意識)で間違った聖天信仰や途中でやめる信仰の意識あれば、いつか聖天信仰をやめますし、それを本人が気付かなくとも、聖天様は未来を司る神様にて全てご承知です。
聖天様とのご縁は一生涯のご縁です。それを一時的なご縁だとか、楽して願い叶えて貰おうとか、考えが甘いと言うか、聖天様を軽んじる顕在意識及び潜在意識では、聖天様からご縁など授かれず好かれはしません。
聖天様が嫌う人間
聖天様が人を選ぶ、聖天様の好き嫌いには、其れ相応の理由が存在します。先程の「聖天様に好かれぬ人間」では、嫌われるとは書かず好かれないと書きましたが、陰口や悪口は嫌われます。
特に聖天様とご縁ある人間の陰口や悪口をいう人間は嫌われるどころか、聖天様は怒られます。聖天様が人を選ぶと神様であるということは、聖天様は好き嫌いある神様であり、好いた人間に対する愛情は凄く深いのです。
愛情が誰よりも深い聖天様は、聖天様とご縁ある人間の陰口や悪口を言う人間に対し怒ります。聖天様に深い愛情を抱く皆様も、目の前で聖天様の悪口や陰口を言われたら怒りますよね!w
特に聖天様の寺院の陰口や悪口、聖天行者や聖天信者の陰口や悪口、今すぐにやめた方が無難であり、聖天様を怒らせて良いことなど何一つ御座いません。
芸能界で多く見られる現象ですが、有名になればなるほど「アンチ」が出てきます。このアンチは必ず悪口を言ったり陰口を言います。ネット上でも誰かを批判する書き込みが多く見られますが、これら全て悪口であり陰口になります。本来の批判とは「良い悪いを評価する」という意味ですが、現実的に批判と言えば、良し悪しに関係なく、自分が気に入らない相手に対し、悪口や陰口という行為に及んでいるように思えます。
この聖天様ブログご愛読者様には無関係かと存じますが、聖天様から好かれなくとも、聖天様に嫌われたり、ましてや聖天様を怒らさないようにして下さい。
聖天様に好かれる人間
聖天様は人を選ぶ神様であり、選ばれる人間は一部です。この世の多くの人間が、聖天様の名前すら知ること無く現世を終えます。つまり、聖天様に選ばれた人間は、聖天様から授かったご縁こそが現世最大のご利益なのです。よって、聖天様とのご縁が一生ものであることは当然です。
それに気付き、聖天様とのご縁を宝物と一生涯大切にする人間は聖天様に好かれます。誰よりも深い愛情でご守護して下さる聖天様ですから、誰よりも深い愛情で聖天様を信仰すること当たり前のことであります。
また、聖天様は歓喜天様であり喜びの神様です。先の悪口や陰口は人を嫌な思いにさせるが故に聖天様から嫌われるのですが、人を喜ばせる人間は好かれます。
聖天様と人間にご縁があるように、人間と人間にもご縁があります。この世に生きる上で万人を喜ばせることは不可能ですが、「合わないな」と思える、ご縁のない人に対しては、悪口や陰口を言わず、関わり合わなければ良いのです。そして、それ以外のご縁ある人に対して喜びを与えれば良いと存じます。
聖天様から授かったご縁は人間にとって現世最大のご利益であります。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。