聖夫婦ブログ
この世に人間として生まれ、この世で人間として生きる過程で、何らかの後悔をする人は多いかと存じます。なぜ後悔するのか、それは行うべきことを行っていないからです。
人事を尽くして天命を待つという言葉があります。これは行うべき努力を全て行った上で、後のことは全て天の意に任せるという意味です。
本当に人事を尽くしておれば、例え天の意が望む結果にあらずとも、そこに後悔の念は芽生えません。そこに何かやり残したことがあるからこそ、後悔の念が芽生えるのです。
人事を尽くすということは、そこに可能性があること全て行うということです。人事を尽くさぬということは、そこに可能性があることをやり残すということです。
人事を尽くしておれば、他の可能性が無いが故に、後悔の念は芽生えませんが、人事を尽くしていなければ、他の可能性を残したが故に、「あの時に、あれをしていれば、ひょっとしたら・・・」という後悔の念が芽生えるのです。
またそれは、顕在意識のみならず、潜在意識としてある場合も御座いますし、仮に潜在意識としてすら無かったとしても、そこに実際の人事を尽くさぬ結果があれば自然と後悔の念が芽生えます。
聖天様に何かを願うも、「もっと参拝に行っておれば、ひょっとしたら・・・」「あの時にお百度参りしていたら、ひょっとしたら・・・」「もっとご祈祷していたら、ひょっとしたら・・・」などなど、どうしても願い叶えたいのなら、後で後悔することのないように人事を尽くして下さい。
聖天信仰の心得十二条に記されてある、「本当の信仰とは、お聖天様にひたすらおすがりして、一切をあげておまかせすることである。」という言葉には、多くの意味が含まれておりますが、そこには、「人事を尽くして天命を待つ。」という意味も含まれて御座います。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。